ルルドのマリアさまへの祈りと、感謝

こんばんは、まあなです。
今日は、2月11日、ルルドのマリアさまの日、151回目の祝福の日、こころの奥底から、おめでとう、そして、ありがとうと、神さまが、愛を、持って、お造りになられた、はるかなる、そら、うみ、だいち、みどりを、超えて、そして、さまざま生きとし生けるもののいのちを、通して、広く、深く、感謝と、祈りを、捧げた、わたしのこの切なるこころが…、ベルナデッタの取り次ぎによって、ルルドのマリアさまへ、伝わっているのでしょうか…。
どうか、どうか、よりよく、伝わって、そして、世界中のさまざまな罪や、悪、病による苦しみに、打ちひしがれている中の、切なる祈りのこころたちも、よりよく、伝わって、ルルドのマリアさま、あなたを、中心に、みんなのこころ、つなぎあって、ひとつの輪になり、輪の共同体の中で、ともに、分かち合い、生きることで、より、神さまのみこころに、かなうように、強められ、神さまの愛の証として、それぞれに、担われた使命を、果たしていき、いつの日か、わたしから、神さまへのこころが、完全となり、天国へ、歓迎されるものとして、ふさわしく、神さまの子どもとして、ひかりの祝福の中で、永遠のいのちを、与かるものになりますように…
その実現のため、前もっての神さまのお計らいの中、神さまが、証してくださった、愛の証としてのひとつ、罪や、悪からの回心によって、与えられた、こころと、からだといやしを、通してのたましいの救い…、ルルドで、最も、ちいさきベルナデッタへ、マリアさまの18回のご出現を、通して、表してくださった、その神秘…、どうか、どうか、ベルナデッタの取り次ぎによって、ルルドのマリアさまの神さまのみこころが、表れた、慈しみ深い愛によって、世界中のさまざまな土地で、さまざまな環境の中で、さまざま生を、送っているひと、ひとの間に、まんべんなく、広く、深く、染みわたり、より、たくさんのひとたちが、ルルドのマリアさまと、ともに、いつ、どんなときも、辛苦の中であっても、与えられた生に、神さまのみこころとしての価値を、見出し、喜びを、持って、最も、それぞれらしく、生き生きと、生きていくことができますように…
今夜、ルルドのマリアさまと、ともに、祈りと、感謝のうちに、ベルナデッタの愛の生のものがたりを、めぐっていき、わたしも、いつの日か、ベルナデッタの取り次ぎによって、ルルドで、ルルドでの最高の愛のときを、生きることを、希望に、持って、ルルドのマリアさまの愛を、満喫することができますように…

    ∞

ルルドの聖母への祈り

すべての人が助けを求める無原罪のマリアよ、私は子としてあなたに立ち帰ります。
人生にはさまざまな真理があると私は知っています。
私はこれまで、富を持ち、貯え、快楽にふける以外、ほかの何物も、何人も、神でさえ必要としない謝った考えを持っていました。
ですから、私は今ここに苦悩、失望、欠乏のうちにいるのです。
誰も訪れてくれる者もなく、価値を失い、唯一愛だけが残る場で、私を助けてくださるあなたに立ち帰ります。
マリアよ、あなたは女性として、花嫁として、母として、汚れのない泉のような澄みきった深いやさしさにあふれ、人間のうちに現れた神の心そのものだからです。
マリアよ、あなたは御存知です。
私の肉体と人生に、神と人に逆らい私を傷つける苦しみが深く入り込んでいることを。
あなたも十字架のもとで悲惨な苦しみを体験されました。
マリアよ、私が試練のうちにあってもあなたのように立ち向かい、いつもすべてを知り、生きておられる神をますます深く見つめることが出来るよう、お助けください。
amen...

    ∞

†ベルナデッタの年表

1844年1月7日
誕生

1844年1月9日
洗礼

1856年
カショー(牢獄跡)へ引っ越す

1857年9月
バルトレスへ行く

1858年2〜7月
ルルドの洞窟で聖母のご出現を見る

1866年7月7日
ヌヴェール愛徳修道会に入会

1867年10月30日
初誓宣立

1867年〜1874年
病室係

1874年
聖堂係

1876年7月3日
ルルドの聖堂建立

1878年9月22日
永久誓願宣立

1879年4月16日
永眠(聖ヨセフ小聖堂に埋葬される)

1909年9月22日
第1回遺体検証(腐敗せず完全なままの姿)

1919年4月3日
第2回遺体検証(腐敗せず完全なままの姿)

1925年4月18日
第3回遺体検証(腐敗せず完全なままの姿)

1925年6月14日
福者列福される

1925年7月18日
本部修道院に遺体を安置する

1933年12月8日
聖人として列聖される

1953年
遺体検証
修道服を新しくして今日に至る

    ∞

ルルドの聖母のご出現

1回目・2月11日(木)
洞窟に出現した貴婦人に、ひざまずいてロザリオの祈りを唱える

2回目・2月14日(日)
「もし、あなたが神様のところからいらしたなら、こちらへいらしてください」と聖水をふりかける。

3回目・2月18日(木)
「15日間続けてここへいらしてくださいませんか。この世であなたを幸福にしてあげることではなく、後の世であなたをしあわせにすることを、約束いたします」

4回目・2月19日(金)

5回目・2月20日(土)

6回目・2月21日(日)

7回目・2月23日(火)

8回目・2月24日(水)
「償い、償い、償い! 罪人のために祈りなさい」

9回目・2月25日(木)
「泉の水を飲み、そこで顔を洗いなさい。罪人たちの回心のため、大地に接吻しなさい」―洞窟の中を掘ると泉が湧く(後に石切工が掘り下げ泉は透明になる)。

10回目・2月27日(土)
8回目のご出現のときと同じことばとしぐさ

11回目・2月28日(日)
8回目のご出現のときと同じことばとしぐさ

12回目・3月1日(月)
神秘的な親しい会話。

13回目・3月2日(火)
「司祭のところへ行って、ここに聖堂を建てるように言いなさい。皆が行列をして来ることを望んでいるのです」―司祭の所に行くと、名前を知らせることを依頼される。

14回目・3月3日(水)
もう1度、教会を建てるように繰り返される。

15回目・3月4日(木)
脱魂状態は1時間近く続き、巡礼者は2万人に及ぶ。

16回目・3月25日(木)
「私は無原罪のやどりです」―ベルナデッタが名前を尋ねると、初めて答えてくださる。

17回目・4月7日(水)
脱魂状態のベルナデッタは、ろうそくの炎に手を触れていたが、無傷だった。

18回目・7月16日(金)
脱魂状態のうちにご出現は終わる。ベルナデッタが見た、もっとも美しい表情であった。

    ∞

†ベルナデッタのことば

私は、ロザリオの祈りしか知りませんでした。
私は、隠れるためにここにきました。
洞窟、それは私の天国です。
おお、イエスよ、いつの日か、みもとに行くために、私の心が張り裂けるほどの愛を、お与えください。
私は、一粒の麦のように、引き裂かれるのです。
一瞬たりとも、主を愛さないで生きることはできません。

    ∞

†聖ベルナデッタの「霊的遺書」より

おとめマリアよ、あなたが来られた日々、あなたが来られなかった日々について、わたしは天において以外、あなたに感謝することが出来ません。
母マリアよ、わたしが受けた侮辱、あざけり、恥辱に、そしてわたしを正気を失った者、いつわる者、下心のある者として扱った人びとに感謝します。
わたしが読み書き出来なかったこと、弱い記憶力、無知、愚かさに感謝します。
感謝、感謝。
なぜなら世界でわたしより愚かで、頭の悪い子どもがいたなら、あなたはその子を選ばれたでしょうから……。
はるか昔に亡くなった母に感謝します。
父が幼い娘ベルナデッタに腕を差し伸べる代わりに、シスターマリア・ベルナデッタとわたしを呼んだ時、わたしが抱いた苦悩に、主よ、感謝します。
あなたがわたしに与えてくださったこのとても幼い心を、苦く飲み干したことへの感謝。
わたしを取るに足りない者と言われたジュセフィーヌ総長に感謝。
聖なるおとめよ、わたしがベルナデッタであったこと、わたしがあなたを見たために牢獄に入れるとおどされたことに感謝。
珍しい動物であるかのように人びとから見られたベルナデッタ、そのベルナデッタは非常に気の毒な人なので、彼女を見に来た人は言いました。
この女性は何ら変わったことのない普通の人ではないかと。
わが神よ、感謝します。
あなたがわたしに与えてくださったこの霊魂、砂漠と内的不毛、あなたの闇とあなたのきらめき、あなたの沈黙と稲光、すべてのことに対して、あなたが離れていても、近くにいても、主よ、感謝します。

    ∞

†あめのきさき

あめのきさき てんのもん
うみのほしと かがやきます
Ave Ave Ave Maria...
Ave Ave Ave Maria...

ゆりのはなと けだかくも
さきいでにし きよきマリア
Ave Ave Ave Maria...
Ave Ave Ave Maria...

くすしきばら かぐわしく
めぐみたもう あいのみはは
Ave Ave Ave Maria...
Ave Ave Ave Maria...

やめるひとに なぐさめを
めぐみたまえ あいのみはは
Ave Ave Ave Maria...
Ave Ave Ave Maria...

ゆくてしめす あけのほし
みちびきませ みははマリア
Ave Ave Ave Maria...
Ave Ave Ave Maria...

かみのみはは わがのぞみ
いまもいつも まもりたまえ
Ave Ave Ave Maria...
Ave Ave Ave Maria...

    ∞

†ちいさきまあなから、ルルドのマリアさまへの祈り

ルルドのマリアさま
あなたとのとき、あなたとの出会い、あなたとの全てを、感謝します。
さまざまな状況の中、さまざまなこころ、抱えながら、さまざまな生を、超えてきた中で、神さまと、出会って、全てが、神さまのみこころのままに…と、神さまへの信を、持って、わたしのこのこころと、からだを、委ねて、神さまと、ともに、ちいさきわたしたちのさまざな罪から、救って、神さまのうちに、ひとつになり、義とするために、愛するあまり、遣わしてくださって、この世で、わたしたちと、おなじひとと、なられ、ひと、ひとの中で、ともに、生き、神さまのみこころ、全てにおいて、まさる、愛を、証す生を、全うされた、イエスさまに、従って、与えられた生を、生きる、新たな決意を、持って、それでも、ちいさきあまり、最も、信への揺らぎによって、辛苦の中、ふさわしいときに、ベルナデッタの取り次ぎによって、ルルドのマリアさまとの出会い、天使によって、贈られた、最高のこのプレゼント、ありがとうございます。
まあなは、その愛を、受け取って、わたしと、おなじような神さまの愛しい子たちと、分かち合って、ちいさきなりに、愛を、証していくこと、その愛の証のために、祈ること、大切にすることを、宣言します。
そのまえに、ちいさきあまり、神さまへ、そして、神さまの愛しい子たちへ、犯してきた、いくつものの罪を、深い反省のうちに、認めた、このこころを、ゆいいつの義である、イエスさまを、通して、神さまへ、捧げて、許しによって、清めれて、愛の証として、新たな生を、生きなおすことができますように…
ルルドのマリアさま、
はるかな世界のたった1匹のこひつじに、すぎない、こんなわたしだけれど、どうか、どうか、いつ、どんなときも、わたしのこと、とどめてくださって、辛苦の中であっても、神さまのみこころを、見出して、愛、希望、信を、持って、この生を、全うできるように、ともに、支えて、ともに、生きてくださいますように…
そして、世界中のわたしと、おなじように、愛しい子たちのことも、あなたと、ともに、あなたと、ともに、ありますように…
ルルドのマリアさま、
あなたが、愛しくて、愛しくて、たまりません。
そんなあなたへの愛を、いのちの糧としたわたしを、神さまのみこころに、お遣いください。
ルルドのマリアさま、
あなたのこと、満ちるぐらい、味わうことができた、まあな、しあわせです。

この世のひかりとして…

こんばんは、まあなです。
今夜は、のんちゃんのお話させていただきますね。
のんちゃんは、今の職場で、ともに、こころと、力を、合わせて、おつとめさせていただいているうちに、仲良くなった女の子です。
のんちゃんのこと、ありのままに、お付き合いできて、ともにある、かけがえのない友だちと、信を、抱えている私のこころ、のんちゃんのお誕生日を、通して、どうか、よりよく、伝わりますように…
のんちゃんは、私より、ちょっと、お姉ちゃん、だけれど、のんちゃんの笑顔は、おさなごのように、こころからの純が、表れていて、無邪気で、可愛らしくて、まるで、天使のよう…、そんな笑顔に、触れるだけで、さまざまな罪の重荷のこころが、ときはなされて、清らかになるようで、いつのまにか、私も、ともに、おさなごのような笑顔に、なっちゃうのです。
今、ちょっとだけ、おしとやかのようで、実は、私と、どうよう、おっちょこちょい、そんな親しみ、いっぱい、あふれる、ちよこさんと、ともに、部署の移動、離れて、おつとめさせていただいて、ちょっぴり、さみしいけれど、同じそらの下、こころは、ひとつ、ともに、ありますね。
おつとめ、一段落、ついたとき、なぜか、いつも、そばには、のんちゃんが…、まなちゃんと、元気な声と、優しい笑顔に、触れると、ほっとして、お互い、頑張ったね、お疲れさまって、感謝のうちに、その日、終えることができて、明日も、よろしくねって、ともに、ある喜び、いっぱい、あふれますね。
のんちゃん、あと、もう、ちょっと、頑張って、春になったら、お花見、楽しみましょうね。
のんちゃんのお誕生日は、2月11日、建国記念日、そして、何よりも、大いなる祝福、ルルドのマリアさまの日なのです。
何て、のんちゃんって、恵まれたひと、そんなのんちゃんのいのちからのお恵みのひかりによって、より、たくさんのひとが、いとおしく、なりますように…

のんちゃんへ

お誕生日、おめでとう。

こうして、こころと、こころを、合わせて、手と、手を、つなぎ合って、

あなたのかけがえのない、お誕生日を、

ともに、健やかに、迎えることができて、

あなたのいのちの誕生を、

わたしのこのいのちから、

深く、ありがとうと、ともに、感謝を、捧げることができて、

わたしのこころは、とっても、喜びに、満ちあふれているの。

こうした、ともに、喜びのときが、

この世において、ひかりとなり、ひとつひとつのいのちの誕生、

ありがとうって、たくさんのこころを、愛し愛されながら、いとおしく、ともしつづけますように…

そして、みんな、みんな、こころと、手を、合わせて、

ありがとうが、いっぱいのひかりの輪として、

ひとつになりますように…

ひとつのひかりの輪の中で、世界中が、愛し愛された、しあわせな笑顔に、満ちあふれますように…

そう、のんちゃんと、まな、ひとつ、ひとつのかけがえのないひかり、

そんなひかりのわたしたちのこと、

愛し愛されたあまり、

前もって、希望されて、造られた、

ひとつのたましいに、ひとつのいのちの息が、ふきかけられて、

こうして、いのちと、からだを、持って、生を、与えられた…

それは、この世で、全てにおいて、まさる、大いなる愛を、証すという、

それぞれに、ふさわしい使命を、果たすために…

このひとつのひかりとしてのいのちの誕生、

天使たちの祝福の中、暖かく、見守られながら、

この生を、生きることになったんだ…

そして、お互い、いろんなときを、経て、いろんなこころ、抱えながら、こうして、出会って、交わって、

ともに、同じときを、生きることで、

さらに、大きなひかりになった…

愛を、より、広く、深く、大きく、証するために…

どんなときも、全てのことに、愛の証として、かけがえのない価値があるの。

そう、全て、時に、かなって、美しいの。

だから、いつも、ひとつのひかりとして、希望を、持って、いとおしく、輝いていて…

夜空のきらきら、おほしさまのように…

まなは、そのひかりを、こころの支えとして、生きていくから…

まなは、のんちゃんが、大好きです。

お誕生日、おめでとう。

どうか、ひかりに、満ちた、素敵なお誕生日を、過ごしてね。

大好きなのんちゃんが、愛に、満ちあふれて、しあわせでありますように…

生きづらさの中で…

こんばんは、まあなです。
今週も、やっと、感謝と、祈りのうちに、悪魔が、ちょこちょこ、現れたりと、不安定ながらも、何とか、乗り越えることができた私のこと、きっと、頑張ったねって、イエスさまと、ともに、マリアさまの優しいほほえみに、見守られながら、神さまの暖かいふところで、抱かれているのでしょうね。
そう、信を、しっかり、こころに、抱いていないと、今にも、悪魔による、この世の現実と、天国への理想とのギャップに、苦に、満ちて、私のこのこころが、次第に、すさんでいきそうで、怖くて、怖くて、たまらないのです。
でも、もう、時は、遅し、私のこころは、既に、悪魔に、支配されています。
あのころのような、神さまの家族として、迎えられ、天国への永遠のいのちを、保証されて、そんな喜びを、きょうだい、姉妹たちを、分かち合うことができた、最も、しあわせに、満ちあふれて、ひかり輝いていた笑顔の私、その面影は、今では、全く、なく、鏡に、映された私は、相変わらず、化粧っ気なし、白髪交じりで、しわが、刻まれ、体重も、激減、やつれてしまって、まるで、老婆のよう…、久しぶりに、再会した親友に、見間違えられるぐらいです。
それでも、外面の場合、天国への入国の条件にはならず、私にとって、さほど、重要ではないので、それは、それで、いいのです。老いばかりは、自分では、どうしようもなく、ただ、ただ、時に、お任せするしかありませんから…。
ただ、内面の場合、その条件には、必要不可欠なので、日々、いつでも、天国へ、入国することができるように、こころの準備をしておかないといけないと、理解していながらも、なかなか…、その内面さえ、私は、全然、その条件に、かなっていないかもしれません。
この世のさまざな肉の欲望による、罪に、まみれるだけ、まみれてしまって、汚れだらけ、とても、神さまの栄光に、満ちた、み顔へ、自分のその顔を、直接、合わせることができないのです。
今日も、ふたたび、悪魔が…、私の神さまの信の力によって、押し寄せないように、必死だったけれど、それ以上に、悪魔の力が、強く、働いてしまったのか…、この場では、告白することができないような、よからぬこころを、抱いてしまったのです。完全に、自分というものを、見失っていました。
自分の能力のなさ、適応力のなさを、棚に、上げてしまって、当然、自業自得としかいいようがないのに、何もかも、この世のせいにしようとしている、仕事よりも、働きびとの数が、圧倒的に、多い、こういうときだからこそ、少ない仕事を、みんなで、分け合うことができたらと、思うのだけれど、そんな私のこころを、裏切るかのように、いかにも、仕事の取り合いで、無残にも、次々と、キラれていく状況に、置かされながら、よほど、解雇という現実、(私のような無能な人間を、置いとくような余力がないのが、事実だろうけれど、この解雇によって、誰もが、かわいそうと、同情を、寄せてくださっただけでも、十分かもしれません。裁判の話まで、持ち掛けてくださったけれど、基本、争いごとは、できるだけ、避けたい主義なので、断ってしまったのは、申し訳なかったです…)受け入れるしかないのだけれど、それでも、受け入れがたく、トラウマになっているのか、生き残ることができるように、必死で、醜態、さらし出しています。
仕事があれば、どのような仕事も、喜んで、させていただきたいのです。ただ、からだが、どうしても、ついていかないのです。長年の肉体労働による、腰痛と、意識障害が、私のそんなこころを、遮るのです。ゆいいつの取り柄、健康優良児で、力持ちだった私の握力は、4分の1以上に、激減、いや、上手く、ものを、つかむことさえも、困難、ちょっとでも、頑張ると、意識が、遠のいて、その場で、うずくまってしまうのです。
さらに、構音障害と、しかも、職歴が、職歴で、求人数が、少ない中、やっと、こぎつけた、面接の度に、必ずと、言っても、いいぐらい、こころが、ズタズタになるまで、解雇事由など、徹底的に、追求されてしまうのです。その上、からだの状態の悪化で、ゆいいつ、求人のある、福祉の道さえも、閉ざされてしまって、選択肢はないに、等しいかもしれません。
せめて、障害者(この言葉は、適切ではないかもしれません。)でありたかった…、障害者なら、手当てを、いただけて、障害者枠で、いくらか、求人は、あるのに…、それでも、障害者の方には、私には、計り知れないぐらいのご苦労が、おありでしょう…、生意気な私、このようなこと、申し上げてしまって、大変、申し訳ありません。
実は、私、自閉症と、診断されてから、障害者と、生きてきた、8歳の時、ある日、突然、健常者と、認証されたこと、それは、何よりも、過酷すぎる宣告だったのです。どのような状況に、置かれても、皆と、同じように、健常者として、生きなければいけないということを、約束されてしまったのです。できないということは、決して、通用せず、何がなんでも、できないといけません。
所詮、私は、障害者にも、健常者にも、なりきれない、中途半端な人間なのですね。こんな私にとって、この世は、ただ、ただ、生きづらいだけなのです。
どのような仕事も、喜んで、させていただきたい…、人並みとまでは、言わないかもしれないけれど、せめて、意識が、遠のくことがないように、頑張れるだけ、頑張りたい…、決して、高望みはしていない…、ただ、ただ、それだけなのに…、みじめで、歯がゆくて、情けなくて、悔しくて…、涙が、止まりません。
それでも、何らかの役に、立ちたくて、献血しようと、思っても、血色素量が、特に、基準値に、満たなくて、それさえも、不可能なのです。
役に、立たないどころか、迷惑ばかりかけざるをえない…、きっと、そんな私は、大切な、いろんなこころの重荷になってしまうことしかできないでしょう。
神さま…、私が、このように、訴えているのは、悪魔による、傲慢なこころからで、もしかして、そんなあなたのこと、侮辱していることになるのでしょうか。
知恵、能力、体力…、何もかもが、元々、何にもない無の私に、神さまのお恵みとして、与えられたもの、あくまで、それらを、生かさせていただいているのに、すぎない…、それなのに、何もかもが、まるで、自分の私用物のように…、その力を、失った時、奪われたと、被害者意識に、駆られてしまうので、どうしようも、ありません。
けれども、この世だからこそ、さまざまなやりきれなさに、耐えることができるように、ひとりでも、生きることができる力を、どうしても、身に、付けたいのです。
神さま…、ついつい、愚痴を、こぼさせていただきました。
きっと、全てが、神さまのみこころなのでしょうね。
こうして、生かさせていただいていること、深く、感謝と、祈りを、捧げるべきでしょう。
でも、まあな、もう、これ以上、汚れたくないのです。もう、取り返しが、つかないぐらい、汚れすぎてしまったかもしれないけれど、少しでも、きよらかさのある間、天国へ、入国することができるように…、神さま…、どうか、どうか、私のこの生を、1日でも、早く、終わらせてください。

天国へ…

こんばんは、まあなです。
いかがお過ごしでしょうか。
私のほうは、今年も、神さまの愛を、ちいさきなりに、生かされている、この世に、証すために、そう、精一杯、愛の証びととして、生きた、この生、認められて、最も、ふさわしいものとして、天国へ、ふたたび、迎え入れられるように、新たに、生きる決意を、堅めて、生き始めた、1月、目で見て、思い浮かぶことができる範囲では、特に、大きな変化がなく、からだのほうは、進行を、抑えつつ、こころのほうは、小波が、ちらほらと、比較的、穏やかに、過ごすことができました。
いや、というより、悪魔による、霊の力を、押し寄せないように、必死で、聖なるものに、ただ、ただ、子どものように、しがみついているだけの日々だったかもしれません。
気が付けば、やっと、きさらぎ、冬も、もう一息、まるで、北国のような極寒のときも、あれば、ほんのり、春の予感を、感じさせられるときも…、ころころ、変わる冬模様の中であっても、生きとし生けるもの、全てのいのちが、あたたかなひかりに、満ちた春を、希望に、持って、愛の証びととして、生きつづけようと、思っています。
今夜は、どういうわけか、ふたたび、悪魔の霊の力が、押し寄せてきたのか…、そんなこころが、うそのように、激変、今までの生で、自分が、自分であるために、犯さざるをえなかった、自分の罪が、次から、次々と、よみがえり、それらに、まみれた汚れによって、自己嫌悪に、陥ってしまって、久しぶりに、あのころのような、ODへの欲求が、高まってきました。
今、そのこころを、抑制しようと、必死です。
OD、さまざまなつらさから、自分を、守るためのゆいいつの手段かもしれません。
けれども、神さまから、愛の証びととして、生きていくために、与えられた、大好きなともたちのために、何とか、こらえて、生へ、前向きに、持ち直さないといけません。
神さま…、神さまの愛を、十分に、証しすることができる、最も、恵まれた生の環境を、用意されながらも、どうしてなのでしょうか。
日増しに、全てのいのちのみなもと、真実の希望、全てが、愛なる神さまが、いらっしゃる天国へのこころが、高まってくるのです。
どんなに、焦っても、ゆっくりでも、遅かれ早かれ、誰もに、平等に、訪れるであろう、天国…、きっと、きっと、そこでは、ゆめみてきた、何もかもが、大好きな、最も、わたしらしい、しあわせな笑顔の天使になれますように…

天使のような、こゆきと、ともに…

こんばんは、まあなです。
今夜は、じゅんちゃんのお話、させていただきますね。
じゅんちゃんも、まるちゃんと、同様、産直のお仕事を、きっかけに、次第に、打ち解け合って、仲良くなり、こころのまま、付き合える、大切なお友だちです。
じゅんちゃんも、まるちゃんも、お母さんのようで、お姉ちゃんのような、ちいちゃな家族のような存在、迷えるこひつじの私のこと、いつも、あったかく、まんまるく、見守ってくれて、嬉しいとき、ともに、笑って、悲しいとき、ともに、泣いてくれて、たくさんのいろんなこころ、分かち合ってくれて、そんなじゅんちゃんたちに、最も、苦のこの1年、どれだけ、励まされ、支えられたか…、感謝の言葉は、とても、言い尽くせません。
じゅんちゃんは、いつも、こころを、ともに、こんな私の背丈に、合わせてくれて、ひとりと、ひとりの人間として、対等に、付き合ってくれて、誰に、対しても、平等に、優しいこころの内面が、にじみ出るぐらい、肌が、まっしろで、きれいな外見、そんなじゅんちゃんのほほえみ、触れるだけで、なぜか、ほっとして、ありのままの私で、頑張ることができるのです。
先週、金曜日、23日、じゅんちゃんのお誕生日、じゅんちゃんとの初めての出会いを、思い起こしながら、じゅんちゃんとのときを、懐かしく、たどって、ありがとう、これからも、ともに、よろしくねって、新たに、絆を、深め合いました。
1年ぶりのお酒で、ともに、こころ、合わせて、かんぱい、どうか、どうか、どのような変化が、起こっても、この祝福を、支えに、ふたたび、1年間、乗り越えていくことができますように…
じゅんちゃんとの思い出が、こころに、刻まれて、ありがとうを、いつまでも、大切にできますように…
どうやら、みなみっ子の私、北国のような、この寒さに、なかなか、順応できなくて、風邪を、ひいてしまったようです。
もうろうの中、ふわぁ、と、ひらひら、舞いちる、こゆきのような天使たちに、あったかく、抱きかかえられながら、いつのまにか、こころの重荷が、ときはなされて、とっても、安らか…、ずっと、ずっと、このままだったら…、あとは、ゆめの中へ…
おやすみなさい…

じゅんちゃんへ

お誕生日、おめでとう

こうして、ふたたび、あなたのこの日を、ともに、健やかに、迎えられて、

あなたの誕生を、祝福できて、

わたしのこころは、あなたのこころと、ともに、

大きなよろこびに、満ちあふれているの。

こうして、いろんな出会いの繰り返しの中で、日々、大変ながらも、

たくさんの大好きと、笑顔に、包まれて、

健やかに、生かされている、この生に、

こころから、ありがとう…

この生、きっと、意味があってのもの。

いのちを、持って、生を、ひとつずつ、受けた、わたしたち、

きっと、はるかむかしからのかぎりないご計画によって、定められた、

最も、ふさわしいとき、

いとおしいあまり、

いのちを、持って、ひとつのあなたの生の誕生、

そんなあなたの生を、ともに、支えて、見守ってくれる、

まるで、愛らしい天使のような、こゆきが、ひらひら、舞い散る中で…

たくさんの祝福を、受けながら、

この世の希望のひかりとして、

この生を、生きることになったんだ…

そして、

そんなあなたの生が、ひかりかがやくために、必要な出会いが、次から、次々と…

きっと、わたしとの出会いも、そう、

こうして、出会ったひとり、ひとりずつが、あなたのひかりを、受けて、

つながり、つながり合って、

いつのまにか、ひとつの大きなひかりの輪になって、

世界中に、広がって、もっと、もっと、大きな輪になって、

みんな、みんな、ともに、それぞれの生を、尊重し合いながら、支え合いながら、生きていけますように…

そして、

あなたのひかりが、最も、あなたらしく、

永遠に、希望に、満ちた、さいわいなもので、ありますように…

ふたたび、この真実、思い起こすができた、

このお誕生日から、1年、実りある年になりますように…

ちいさき祈り、ずっと、ずっと、捧げていくね。

愛のかがり火

こんばんは、まあなです。
今夜は、ともみさんのお話、させていただきますね。
ともみさんには、私の所属している、カトリック教会で、洗礼へ、向けての準備のときから、2年と、数ヶ月前、カトリックへのこころを、強く、持って、夏のたまりきった、お疲れが、秋の清々しい風によって、癒されつつあるとき、カトリック教会の共同体の一員として、キリストに、結ばれて、キリストの教えを、学び、従っていくことを、皆の前、おおやけで、宣言する、入信式の数週間前からでしょうか、今に、至るまで、いつ、どんなときも、もちろん、あのときも…、私の不安定なこころに、寄り添っていただきながら、いろいろと、お世話になりました。
ともみさんは、この世で、ご立派だと、言われる、ご先祖代々、お医者さまばかりのお家柄を、お持ちで、いかにも、高貴なお嬢さま、にもかかわらず、あまり、そんな雰囲気がなく、おおらかで、どんなことにも、ときめかす、少女のような、可愛らしいところがあり、誰にでも、好感を、もたれています。
しかも、こんな、この世の中の底辺を、はいずりまわっている、どこの馬の骨だか、分からないような私(←ますます、自虐的になってきたような…)に、対しても、他の方々と、同じように、ひとりの人間として、決して、見下すことなく、私自身の、個性、価値感、そのまま、尊重し、対等に、付き合ってくださって、今では、キリストに、結ばれた姉妹として、ともに、生かせていただいています。
十数年前から、洗礼へのお世話がかりとして、毎年、私と、同じように、何十人ものの、それぞれの生の事情を、抱えながら、神さまを、求め、迷えるこひつじを、神さまのもとへ、導いてくださいました。
きっと、多くの方々が、そんなともみさんを、通して、より、強く、キリストに、結ばれて、神さまの子どもとしての新たないのちを、受けて、この世の希望のひかりとして、永遠のしあわせ、天国へ、向けて、自由で、生き生きした生を、送られていることでしょう。
ときには、試練に、立ちはだかって、苦しいときも…、けれども、どんなときも、強い信が、こころに、あるかぎり、きっと、大丈夫でしょう。
私の場合、自分自身のこと、総合的に、分析したとき、やはり、私は、わがままでしょうか、いいように、言えば、自我が強いと、言えるかもしれないけれど…、長年、かけて、自分自身のこと、いろいろと、思索してきても、どうしても、自分という個、生を、認めることができないのです。
権力、地位、お金…、この世での欲というものは、私にとって、無価値、あらゆる変化の激しい、この世の中で、一生涯、決して、揺ぐことがない崇高的なものを、価値とする、少しでも、自分自身のこと、認めてもらいたいところがあって、キリストを、求めるようになったのだけれど、洗礼によって、やっと、結ばれることで、得られた、あの喜びの記憶が、今では、はるかかなたへ、追いやられようとしています。
それでも、もう、これ以上、なすすべがないと、自覚せざるをえなくなった今、じたばたせず、このまま、生き衰えてもいいかもしれないこころでいます。
ともみさんを、始め、導いて、見守ってくださった方々、こんな私で、本当に、申し訳ありません。
どうか、どうか、お許しください。
世界中のキリストに、結ばれた、きょうだい、姉妹たちが、神さまの愛の大きなかがり火として、ひとつになり、支え合って、生きていくことができますように…

ともみさんへ

カトリックへ、生きると、強く、決意した、あのときから…

神さまからのひとつのひかりが、差し込んだんだ…

それは、

そんな私のこころを、より、強めて、

きょうだい、姉妹たちとのこころ、より、強く、結ばれるため、

ともみさんとの出会い、

そう、ここで、ともみさんを、通して、

神さまの子として、新たないのちを、持って、

キリストと、ともに、生きる生が、実現されたんだ…

さあ、ここから、

そんな、いのちと、生に、満ちあふれた、生き生きしたライフが…

ともみさんに、手を、ひかれて、いろんな世界が、広がっていったんだ…

あおぞら、だいち、うみ、みどり…

何もかもが、新たな私を、ようこそって、

暖かく、歓迎してくれているようで、

生きとし生ける、全てのものたちが、

そんな私のこと、良かったねって、

輪になって、ほほえみかけてくれているようで、

私も、思わず、よろしくねって、ほほえみかけてしまったの。

なんて、とっても、みずみずしい…

そんなよろこびいっぱいのこころを、持って、

次から、次々と、起こる、いろんなことが…

神さまのひかりのままだって、

ちゃんと、受け止めることができて、

ともみさんと、ともに…

そして、

ともみさんを、通して、私と、同じように、

ひかりによって、結ばれた、きょうだい、姉妹たちと、ともに…

ひとつの輪になって、

神さまの愛の大きなかがり火として、

世界中を、照らしていくんだ…

ときには、ひとって、弱きものであるから、

キリストへの生の途中、

寄り道だって、 例え、どんなに、回り道をしても…

ひとつの絶対的なひかりが、照らされているかぎり、

きっと、大丈夫、

ともみさんや、世界中のみんなと、ともに、

永遠に、キリストに、結ばれて、

アーメンって、捧げていくことができますように…

ふさわしいしあわせへ…

こんばんは、まあなです。
今夜は、くまちゃんのお話、させていただきますね。
くまちゃんとは、まるちゃんと、同様、2年半前、産直のお仕事が、きっかけで、こころのまま、付き合える、真の親友になることができました。
くまちゃんは、私より、4歳年上で、まるで、お姉ちゃんのよう…今の私の年齢で、リーダーに、抜てきされるぐらいの優秀な仕事人、生まれもった能力も、あるかもしれないけれど、くまちゃんの場合、やはり、並々ならぬの苦労の中、努力によって、培われたのが、大きいのでしょうか、状況を、しっかり、把握しながら、的確な判断、スピーディーな行動力を、フルに、活用している、そんなくまちゃんのお仕事ぶりには、とても、頭が、上がりませんでした。
当初、そんなお仕事に、対する熱意からでしょうか、くまちゃんの厳しさに、ただ、ただ、圧倒されて、とても、お近付きになれる雰囲気ではなかったけれど、産直のお仕事を、きっかけに、徐々に、くまちゃんと、打ち解けていって、ありのままを、さらしだすことができたし、その中で、いろんなくまちゃんと、出会うことができました。
実は、くまちゃんは、苦労してきた分、厳しい一方、ひとの痛みを、分かち合える、情が深くて、とっても、あったかいこころの持ち主なのです。
お仕事中は、よく、怒られて、めげてしまうことも、あったけれど、そんなとき、くまちゃんは、私のこころを、分かっているのか、頑張れって、励ましてくれて、そのつど、こころ、新たにして、頑張ることができました。
お昼休みや、プライベートのとき、お仕事のときのくまちゃんとは、まるで、別人、お姉ちゃんのように、暖かく、見守られながら、みんなで、わいわい、おしゃべりしながらのごはん、どれだけ、おいしかったことか…、そのときの楽しい風景が、目に、浮かぶようで、とても、ほほえましく、懐かしさで、いっぱいになります。
誰よりも、そんなくまちゃんのしあわせ、祈っていたのが、聞き入れられたのか…、昨年の秋、晴れて、ご結婚、自分のことのように、喜びました。
実は、くまちゃんの新たなお家が、私のお家のご近所なのです。
会いたいときに、いつでも、会える距離、まるで、こころの距離のよう…、それだけでも、十分、支えられて、生きること、頑張れますね。
早速、お祝いに…、そこには、お仕事のときのくまちゃんではなく、お母さんのような、あったかい、まんまるい瞳で、見守る、愛しさいっぱいのこころを、抱えた、しあわせなくまちゃんがいたのです。
くまちゃん、私は、もう、あのときの明るいまなではなく、今にも、くずれそうだけれど、どんなまなでも、まなは、まなって、愛しく、包んでくれて、いつ、どんなときも、こころを、ともに…、ありのままを、大切に、できたらと、思いました。
これからも、こんなぶきっちょな私の生、見守っていてくださいね。
実は、年末から、頭が、割れるように、痛い…、その上、歯のかけたところが、鋭く、痛い…、今夜は、どうやら、ピークを、達したようで…、社会保険加入まで、あと2週間、どうか、どうか、それまで、何とか、耐えられますように…

くまちゃんへ

私が、しあわせへの一歩を、ふみだしたとき、

そんな私に、最も、ふさわしい、くまちゃんとの出会い、

この出会いから、さあ、くまちゃんとのときが、始まっていったんだ…

くまちゃんのからだいっぱい、みなぎるパワーが…

そんな私の不足分を、おぎなってくれるかのような、

それは、

自信…

与えられた、いのちは、とうとく、

そんないのちを、もった、私の生は、尊重されていることを、信じること、

勇気…

そんな自信を、持った自分を、ありのままを、さらけ出すこと、

くまちゃんのこころいっぱい、あふれる愛が…

そんな私のこころを、より、豊かに、満してくれるような、

それは、

輪…

自分だけではなく、まわりのお友だちを、ありのままに、受け入れて、

お互いに、認め合って、手を、取り合うこと、

愛…

誰もが、ありのままで、神さまの最高傑作、

愛し愛し合って、世界中に、愛の輪を、広げていくこと、

くまちゃんのありのままが、そう、証してくれたんだ…

くまちゃん、そんな真実を、強め、深めるための最高のパートナーと、結ばれたこと、

本当に、こころから、おめでとう

そんなくまちゃんといるだけで、私は、とっても、しあわせ、

私も、くまちゃんとは、しあわせの形、違うかもしれないけれど、

くまちゃんに、続いて、

私に、最も、ふさわしいしあわせへの道、歩んでいくね。

これからも、ともに…