生きづらさの中で…

こんばんは、まあなです。
今週も、やっと、感謝と、祈りのうちに、悪魔が、ちょこちょこ、現れたりと、不安定ながらも、何とか、乗り越えることができた私のこと、きっと、頑張ったねって、イエスさまと、ともに、マリアさまの優しいほほえみに、見守られながら、神さまの暖かいふところで、抱かれているのでしょうね。
そう、信を、しっかり、こころに、抱いていないと、今にも、悪魔による、この世の現実と、天国への理想とのギャップに、苦に、満ちて、私のこのこころが、次第に、すさんでいきそうで、怖くて、怖くて、たまらないのです。
でも、もう、時は、遅し、私のこころは、既に、悪魔に、支配されています。
あのころのような、神さまの家族として、迎えられ、天国への永遠のいのちを、保証されて、そんな喜びを、きょうだい、姉妹たちを、分かち合うことができた、最も、しあわせに、満ちあふれて、ひかり輝いていた笑顔の私、その面影は、今では、全く、なく、鏡に、映された私は、相変わらず、化粧っ気なし、白髪交じりで、しわが、刻まれ、体重も、激減、やつれてしまって、まるで、老婆のよう…、久しぶりに、再会した親友に、見間違えられるぐらいです。
それでも、外面の場合、天国への入国の条件にはならず、私にとって、さほど、重要ではないので、それは、それで、いいのです。老いばかりは、自分では、どうしようもなく、ただ、ただ、時に、お任せするしかありませんから…。
ただ、内面の場合、その条件には、必要不可欠なので、日々、いつでも、天国へ、入国することができるように、こころの準備をしておかないといけないと、理解していながらも、なかなか…、その内面さえ、私は、全然、その条件に、かなっていないかもしれません。
この世のさまざな肉の欲望による、罪に、まみれるだけ、まみれてしまって、汚れだらけ、とても、神さまの栄光に、満ちた、み顔へ、自分のその顔を、直接、合わせることができないのです。
今日も、ふたたび、悪魔が…、私の神さまの信の力によって、押し寄せないように、必死だったけれど、それ以上に、悪魔の力が、強く、働いてしまったのか…、この場では、告白することができないような、よからぬこころを、抱いてしまったのです。完全に、自分というものを、見失っていました。
自分の能力のなさ、適応力のなさを、棚に、上げてしまって、当然、自業自得としかいいようがないのに、何もかも、この世のせいにしようとしている、仕事よりも、働きびとの数が、圧倒的に、多い、こういうときだからこそ、少ない仕事を、みんなで、分け合うことができたらと、思うのだけれど、そんな私のこころを、裏切るかのように、いかにも、仕事の取り合いで、無残にも、次々と、キラれていく状況に、置かされながら、よほど、解雇という現実、(私のような無能な人間を、置いとくような余力がないのが、事実だろうけれど、この解雇によって、誰もが、かわいそうと、同情を、寄せてくださっただけでも、十分かもしれません。裁判の話まで、持ち掛けてくださったけれど、基本、争いごとは、できるだけ、避けたい主義なので、断ってしまったのは、申し訳なかったです…)受け入れるしかないのだけれど、それでも、受け入れがたく、トラウマになっているのか、生き残ることができるように、必死で、醜態、さらし出しています。
仕事があれば、どのような仕事も、喜んで、させていただきたいのです。ただ、からだが、どうしても、ついていかないのです。長年の肉体労働による、腰痛と、意識障害が、私のそんなこころを、遮るのです。ゆいいつの取り柄、健康優良児で、力持ちだった私の握力は、4分の1以上に、激減、いや、上手く、ものを、つかむことさえも、困難、ちょっとでも、頑張ると、意識が、遠のいて、その場で、うずくまってしまうのです。
さらに、構音障害と、しかも、職歴が、職歴で、求人数が、少ない中、やっと、こぎつけた、面接の度に、必ずと、言っても、いいぐらい、こころが、ズタズタになるまで、解雇事由など、徹底的に、追求されてしまうのです。その上、からだの状態の悪化で、ゆいいつ、求人のある、福祉の道さえも、閉ざされてしまって、選択肢はないに、等しいかもしれません。
せめて、障害者(この言葉は、適切ではないかもしれません。)でありたかった…、障害者なら、手当てを、いただけて、障害者枠で、いくらか、求人は、あるのに…、それでも、障害者の方には、私には、計り知れないぐらいのご苦労が、おありでしょう…、生意気な私、このようなこと、申し上げてしまって、大変、申し訳ありません。
実は、私、自閉症と、診断されてから、障害者と、生きてきた、8歳の時、ある日、突然、健常者と、認証されたこと、それは、何よりも、過酷すぎる宣告だったのです。どのような状況に、置かれても、皆と、同じように、健常者として、生きなければいけないということを、約束されてしまったのです。できないということは、決して、通用せず、何がなんでも、できないといけません。
所詮、私は、障害者にも、健常者にも、なりきれない、中途半端な人間なのですね。こんな私にとって、この世は、ただ、ただ、生きづらいだけなのです。
どのような仕事も、喜んで、させていただきたい…、人並みとまでは、言わないかもしれないけれど、せめて、意識が、遠のくことがないように、頑張れるだけ、頑張りたい…、決して、高望みはしていない…、ただ、ただ、それだけなのに…、みじめで、歯がゆくて、情けなくて、悔しくて…、涙が、止まりません。
それでも、何らかの役に、立ちたくて、献血しようと、思っても、血色素量が、特に、基準値に、満たなくて、それさえも、不可能なのです。
役に、立たないどころか、迷惑ばかりかけざるをえない…、きっと、そんな私は、大切な、いろんなこころの重荷になってしまうことしかできないでしょう。
神さま…、私が、このように、訴えているのは、悪魔による、傲慢なこころからで、もしかして、そんなあなたのこと、侮辱していることになるのでしょうか。
知恵、能力、体力…、何もかもが、元々、何にもない無の私に、神さまのお恵みとして、与えられたもの、あくまで、それらを、生かさせていただいているのに、すぎない…、それなのに、何もかもが、まるで、自分の私用物のように…、その力を、失った時、奪われたと、被害者意識に、駆られてしまうので、どうしようも、ありません。
けれども、この世だからこそ、さまざまなやりきれなさに、耐えることができるように、ひとりでも、生きることができる力を、どうしても、身に、付けたいのです。
神さま…、ついつい、愚痴を、こぼさせていただきました。
きっと、全てが、神さまのみこころなのでしょうね。
こうして、生かさせていただいていること、深く、感謝と、祈りを、捧げるべきでしょう。
でも、まあな、もう、これ以上、汚れたくないのです。もう、取り返しが、つかないぐらい、汚れすぎてしまったかもしれないけれど、少しでも、きよらかさのある間、天国へ、入国することができるように…、神さま…、どうか、どうか、私のこの生を、1日でも、早く、終わらせてください。