天国へ…

こんばんは、まあなです。
いかがお過ごしでしょうか。
私のほうは、今年も、神さまの愛を、ちいさきなりに、生かされている、この世に、証すために、そう、精一杯、愛の証びととして、生きた、この生、認められて、最も、ふさわしいものとして、天国へ、ふたたび、迎え入れられるように、新たに、生きる決意を、堅めて、生き始めた、1月、目で見て、思い浮かぶことができる範囲では、特に、大きな変化がなく、からだのほうは、進行を、抑えつつ、こころのほうは、小波が、ちらほらと、比較的、穏やかに、過ごすことができました。
いや、というより、悪魔による、霊の力を、押し寄せないように、必死で、聖なるものに、ただ、ただ、子どものように、しがみついているだけの日々だったかもしれません。
気が付けば、やっと、きさらぎ、冬も、もう一息、まるで、北国のような極寒のときも、あれば、ほんのり、春の予感を、感じさせられるときも…、ころころ、変わる冬模様の中であっても、生きとし生けるもの、全てのいのちが、あたたかなひかりに、満ちた春を、希望に、持って、愛の証びととして、生きつづけようと、思っています。
今夜は、どういうわけか、ふたたび、悪魔の霊の力が、押し寄せてきたのか…、そんなこころが、うそのように、激変、今までの生で、自分が、自分であるために、犯さざるをえなかった、自分の罪が、次から、次々と、よみがえり、それらに、まみれた汚れによって、自己嫌悪に、陥ってしまって、久しぶりに、あのころのような、ODへの欲求が、高まってきました。
今、そのこころを、抑制しようと、必死です。
OD、さまざまなつらさから、自分を、守るためのゆいいつの手段かもしれません。
けれども、神さまから、愛の証びととして、生きていくために、与えられた、大好きなともたちのために、何とか、こらえて、生へ、前向きに、持ち直さないといけません。
神さま…、神さまの愛を、十分に、証しすることができる、最も、恵まれた生の環境を、用意されながらも、どうしてなのでしょうか。
日増しに、全てのいのちのみなもと、真実の希望、全てが、愛なる神さまが、いらっしゃる天国へのこころが、高まってくるのです。
どんなに、焦っても、ゆっくりでも、遅かれ早かれ、誰もに、平等に、訪れるであろう、天国…、きっと、きっと、そこでは、ゆめみてきた、何もかもが、大好きな、最も、わたしらしい、しあわせな笑顔の天使になれますように…