愛のかがり火

こんばんは、まあなです。
今夜は、ともみさんのお話、させていただきますね。
ともみさんには、私の所属している、カトリック教会で、洗礼へ、向けての準備のときから、2年と、数ヶ月前、カトリックへのこころを、強く、持って、夏のたまりきった、お疲れが、秋の清々しい風によって、癒されつつあるとき、カトリック教会の共同体の一員として、キリストに、結ばれて、キリストの教えを、学び、従っていくことを、皆の前、おおやけで、宣言する、入信式の数週間前からでしょうか、今に、至るまで、いつ、どんなときも、もちろん、あのときも…、私の不安定なこころに、寄り添っていただきながら、いろいろと、お世話になりました。
ともみさんは、この世で、ご立派だと、言われる、ご先祖代々、お医者さまばかりのお家柄を、お持ちで、いかにも、高貴なお嬢さま、にもかかわらず、あまり、そんな雰囲気がなく、おおらかで、どんなことにも、ときめかす、少女のような、可愛らしいところがあり、誰にでも、好感を、もたれています。
しかも、こんな、この世の中の底辺を、はいずりまわっている、どこの馬の骨だか、分からないような私(←ますます、自虐的になってきたような…)に、対しても、他の方々と、同じように、ひとりの人間として、決して、見下すことなく、私自身の、個性、価値感、そのまま、尊重し、対等に、付き合ってくださって、今では、キリストに、結ばれた姉妹として、ともに、生かせていただいています。
十数年前から、洗礼へのお世話がかりとして、毎年、私と、同じように、何十人ものの、それぞれの生の事情を、抱えながら、神さまを、求め、迷えるこひつじを、神さまのもとへ、導いてくださいました。
きっと、多くの方々が、そんなともみさんを、通して、より、強く、キリストに、結ばれて、神さまの子どもとしての新たないのちを、受けて、この世の希望のひかりとして、永遠のしあわせ、天国へ、向けて、自由で、生き生きした生を、送られていることでしょう。
ときには、試練に、立ちはだかって、苦しいときも…、けれども、どんなときも、強い信が、こころに、あるかぎり、きっと、大丈夫でしょう。
私の場合、自分自身のこと、総合的に、分析したとき、やはり、私は、わがままでしょうか、いいように、言えば、自我が強いと、言えるかもしれないけれど…、長年、かけて、自分自身のこと、いろいろと、思索してきても、どうしても、自分という個、生を、認めることができないのです。
権力、地位、お金…、この世での欲というものは、私にとって、無価値、あらゆる変化の激しい、この世の中で、一生涯、決して、揺ぐことがない崇高的なものを、価値とする、少しでも、自分自身のこと、認めてもらいたいところがあって、キリストを、求めるようになったのだけれど、洗礼によって、やっと、結ばれることで、得られた、あの喜びの記憶が、今では、はるかかなたへ、追いやられようとしています。
それでも、もう、これ以上、なすすべがないと、自覚せざるをえなくなった今、じたばたせず、このまま、生き衰えてもいいかもしれないこころでいます。
ともみさんを、始め、導いて、見守ってくださった方々、こんな私で、本当に、申し訳ありません。
どうか、どうか、お許しください。
世界中のキリストに、結ばれた、きょうだい、姉妹たちが、神さまの愛の大きなかがり火として、ひとつになり、支え合って、生きていくことができますように…

ともみさんへ

カトリックへ、生きると、強く、決意した、あのときから…

神さまからのひとつのひかりが、差し込んだんだ…

それは、

そんな私のこころを、より、強めて、

きょうだい、姉妹たちとのこころ、より、強く、結ばれるため、

ともみさんとの出会い、

そう、ここで、ともみさんを、通して、

神さまの子として、新たないのちを、持って、

キリストと、ともに、生きる生が、実現されたんだ…

さあ、ここから、

そんな、いのちと、生に、満ちあふれた、生き生きしたライフが…

ともみさんに、手を、ひかれて、いろんな世界が、広がっていったんだ…

あおぞら、だいち、うみ、みどり…

何もかもが、新たな私を、ようこそって、

暖かく、歓迎してくれているようで、

生きとし生ける、全てのものたちが、

そんな私のこと、良かったねって、

輪になって、ほほえみかけてくれているようで、

私も、思わず、よろしくねって、ほほえみかけてしまったの。

なんて、とっても、みずみずしい…

そんなよろこびいっぱいのこころを、持って、

次から、次々と、起こる、いろんなことが…

神さまのひかりのままだって、

ちゃんと、受け止めることができて、

ともみさんと、ともに…

そして、

ともみさんを、通して、私と、同じように、

ひかりによって、結ばれた、きょうだい、姉妹たちと、ともに…

ひとつの輪になって、

神さまの愛の大きなかがり火として、

世界中を、照らしていくんだ…

ときには、ひとって、弱きものであるから、

キリストへの生の途中、

寄り道だって、 例え、どんなに、回り道をしても…

ひとつの絶対的なひかりが、照らされているかぎり、

きっと、大丈夫、

ともみさんや、世界中のみんなと、ともに、

永遠に、キリストに、結ばれて、

アーメンって、捧げていくことができますように…