生きたくない…

こんばんは。まあなです。今日も、こころのなかのあふれるばかりの、いっぱい、いっぱいの感情を、必死に、押さえ付けながら、何とか、生きること、できました。本当は、もう、いい加減にして、自分の足で、立って、前を、向かないといけないと、頭では、分かっているのだけれど、ただ、こころのほうが、イケナイ感情、次から、次々と…、止まることを、知りません。こんな私の、未熟なあまり、いろんなひとのこころを、痛めていることが、何よりも、気がかりで、気がかりで、仕方ないのだけれど、今は、もう、生きることだけで、いっぱい、いっぱいなので、どうか、どうか、お許しください。私にとって、唯一、ここだけが、どんなことがあっても、人ひとの流れに、乗って、決して、笑顔を、絶やすことは、許されない、現実の世界から、解放される、ありのままのこころを、さらけ出すことができる場ですので…。どうか、どうか、この場を、持って、お許しください。
もう、だめ…、やっと、1年に、1度のたましいたちとの通信、お盆が、過ぎたというのに…、私のこころは、たましいたちの、生きたくても、生きること、許されなかった、切なる叫びが、未だに、痛いぐらい、響きわたって、うつは、ますます、ひどくなるばかりなのです。
現実の世界では、どうして、こんなにも、こんなにも、やりきれないことが、多いのか…、それとも、私が、単に、おかしいから、そんな世界に、上手く、適応することができないだけなのか…、もう、考えれば、考えるほど、わけが分からなくなって、のたうちまわりそうです。
職場も、そう…、またまた、やりきれない事実を、残酷にも、目の前に、突き出されたのです。対象者は、ある年配の調理のパートさん、こんな私だけれど、よくしていただいて、いつも、ともに、仲良く、おしゃべりしながら、洗浄していたので、もう、今では、そのひとのこと、知り尽くしてしまったのです。まあなさんが、いいよ、どれだけ、こころを、痛めるであろう、そのひとのことばが、今、痛いぐらい、こころに、響きわたって、もう、たまらなくなって、涙が、あふれています。私の場合、どういうわけか…、かなり、幼く、見られるのか、若いということで、他のひとなら、当然、許されないであろう、失敗でも、すぐに、許されるのです。いや、単に、私が、あまりにも、だめだめすぎて、もう、すでに、あきられているのかもしれません。こんな甘えてばかりいる私のまわりでは、こころを、痛めているひとが、たくさん、いるというのに、どうして…、私は、呆然と、突っ立つことしか、できないのか…、自分の能力や、こころのなさに、ただ、ただ、絶望するばかり…、こんな自分が、徹底的に、嫌でいやで、たまらなくて、こんな自分の人生には、希望なんて、
もう、かけらすら、ありません。
つらい、つらい、つらいよ…、どうして、こんなにも、こんなにも、つらいのか…、もう、つらいとしか、言いようが、ありません。きっと、誰のせいでもない…、だから、決して、誰のせいにも、してはいけない…、誰もが、生きるだけで、精一杯なのだから、いろんなこころ、ちゃんと、分かってあげないといけないのです。もともと、私が、何もかも、おかしいから、いけないということ…、よくよく、分かっています。今まで、散々、たくさんのこころを、痛めたりと、イケナイこと、いっぱい、してきたから、きっと、今になって、罰が、当たったのでしょうね…。いや、罰だとしたら、私は、もっと、もっと、厳しい罰を、受けるべきなのです。私の存在自体、私のいのち自体、私の何もかもが、罪、どうか、どうか、こんな、どうしようもない私を、徹底的に、懲らしめてください。
もう、だめ…、やっぱり、これ以上、耐えることができない…、生きること、どうか、どうか、ここで、断ち切らせてください。
本当に、本当に、ごめんなさい…。