ぎりぎりの線で…

こんにちは。まあなです。今週も、1週間、生きる、お仕事、ともに、お疲れさまです。早いものの、8月、何もかもが、あまりにも、まばゆすぎて、何も、見えない…、こんな、おぼつかないこころで、新たな月を、迎えることになるなんて…、何だか、1月1月、1日1日、1時1時、訪れる度に、何かが、起こりうるのではないかと、とても、恐ろしくて、恐ろしくて、たまらないのです。だから、いつも、こころが、どぎまぎしています。2008年からは、特に、そう…、私が、私じゃなくなるような、いのちを、いつも、脅かされている、正に、生き地獄…、でも、もう、死んでもいいと、思っているぐらいだから…、恐ろしいことなんてないはずなのだけれど…、臆病すぎるぐらい臆病な私、本当に、とことん、どうしようもないです。生きていても、あまりにも、悲しすぎることばかり…、今、こうしている間に、この世の終わりの果てには、きっと、喜びと、大好きが、いっぱい、あこがれの天国へ、近付いているという真実だけが、せめてものの救いなのかもしれません。
お仕事のほうは、自分では、もう、どうすることもできない状態まで、きてしまったので、クビを、切られるまで、どんなことがあっても、頑張り抜こうと、思います。3年前、1年で、投げ出してしまった、あのころ、どんなに、後悔しても、もう2度と、時は、かえることはない…、自分自身のこころの弱さも、あるかもしれないけれど、うつ病と、カミングアウトしたことで、何となく、居づらくなって、退職せざるをえなかったのです。だから、今度の今度こそ、口が、サケても、うつ病と、カミングアウトすることはできません。できるだけ、差しさわりのないように、無難に、忠実に、頑張っていて、それでも、クビを、切られたら、諦めが、つくと、思いますので…。私が、どうして、ここまで、意気地になる必要が、あるのか、もちろん、生活のためも、あるのかもしれないけれど、やはり、母との関係が、大きいからでしょうか…?世間体とかは、ほとんど、気になりません。この世の肉によるプライドは、全く、ありません。高給も、全く、求めていません。普通に、食べて、寝て、お仕事して…と、最低限の生活を、送ることができたら、どんなに、安月給でもいいのです。ただ、かねふくの2年間、母からの私への態度が、あまりにも、すごかったものだから、母のこころ、なかなか、分かってあげられず、いつまで、経っても、こんなできそこないの私が、悪いのかもしれないけれど、あの態度は、考えただけでも、恐ろしくて、恐ろしくて、どうしても、もう2度と、耐えることができないのです。それに、できるだけなら、逃げるという選択は、したくありません。生まれてきたからには、みんな、神さまから、愛された仲間、誰とでも、上手く、付き合うことができるように、努力していきたいのです。今の職場も、そう…、現場の調理のひとたちとも、仲良く、やっていきたいし、いろんな人間関係を、通して、自分自身、成長させていただけたらと、思うのです。ただ、いろんな圧力が、ものすごいものだから、耐えがたいというのがあって、過去のひとたちが、退職せざるをえなかったこころが、よく、分かるのです。栄養士は、私と、みきさん、みきさんは、献立作成、私は、その献立に、基づいて、発注、昼食の配膳、その他、もろもろ、あと、2人で、おやつ作りをしています。お仕事の内容自体、本当に、申し分なく、大好きな仲間たちと、ともに、やりがいがあって、好きで、好きで、たまらないのだけれど、やはり、それ以上に、いろいろと、こころが、痛めることが、多いので…。
これからの人生、ただ、ただ、神さま、イエスさま、マリアさまに、委ねるのみです。どうか、どうか、こんな私だけれど、正しい道へ、いつの日か、あなたの光の中へ、永遠の愛に満ちた、しあわせなところへ、たどり着くことができますように…。
Il tre agosto domenica,le tre e mezz'ora del pomeriggio,sereno qualche volta pioggia
Buona serata!
Per amore eterno.