現実と、あこがれの間で…

こんばんは。まあなです。与えられた、新たな今日、ふたたび、元気いっぱい、お日さまとの出会いと、ともに、ありがとうと、ちゃんと、受け取って、こんなどうしてもない、いつも、不安や、恐怖…にまみれた、ぐちゃぐちゃなこころの私だけれど、そんなこころを、まるごと、委ねて、どうか、少しでも、あなたのみこころに、かなうことができますように…と、お祈りを、ささげながら、新たな今日へ、羽ばたいて、いきました。世の中のいろんな波に、のまれながら、壁に、挟まれながらと、大変ながらも、いつも、ほほえみを、絶やさない大好きな天使たちと、ともに、大好きなみんなと、こころと、手を、合わせて、神さま、大好きなこころを、大切にしながら、不器用ながらも、精一杯、今日を、生き抜いた今、そこには、優しい光に、満ちた、お星さまたちが…、とっても、きれい…、まるで、神さまの愛しいこころのようですね。「今日も、頑張って、生きたね。いろんなこと、耐え忍んだね。偉かったね。」と、こころと、からだいっぱいから、そんな神さまの愛のプレゼントを、ありがとう、そして、新しい1日1日、そんなあなたの愛のために、生きていきますように…と、感謝と、祈りのうちに、これから、こころを、痛めることが、多い、厳しい現実から、ちょっとだけ、距離を、置いて、私の憧れいっぱい、しあわせな夢の世界へ、羽ばたいていきます。
厳しい現実、目の当たりにして、あまりにも、未熟すぎるばかりに、なすすべもなく、ただ、ただ、じっと、耐え忍ぶだけ…、やりきれなさで、いっぱい、いっぱいになってしまいます。どうやら、私の職場、どうも、経営状態が、あまり、良くないらしく、何と、リストラが、現実に、起こっているようなのです。プライバシーに、関することなので、詳しいお話は、できないけれど、何と、ある正社員が、対象者に、数日前、ご本人に、事実を、打ち明けられたとき、あまりのことに、言葉を、失ってしまいました。そのひとは、障害を、抱えながらも、ご家族を、養っていかなければいけない…、先行き不透明な、厳しい状況に、追い込まれながら、そのこころの痛みは、いかなるものかと、察するだけでも、苦しくて、苦しくて、発狂しそうです。ただ、ただ、ひたすら、まっすぐに、まじめに、精一杯、頑張ってこられたはずなのに…、どうして、どうして、そんなこころは、認めてもらえないのか…、そして、どうして、どうして、私は、よくしていただいたはずなのに、何も、できないのか…、いや、それどころか、もしかして、私のせいなのかもしれない…、栄養士の管理に、問題が、あるとしたら…、いつも、そのことを、追求されるので…、ただ、ただ、自責の念に、駆らずにはいられないのです。どうして、どうして、こんなに、私は、だめなのか…、たくさんのこころを、痛めることしかできない…、私の存在こそが、正に、疫病神、だめだ…、とうとう、自分いじめが、始まってしまいました。だからと言って、どんなことがあっても、自らから、投げ出すことは、できません。この不景気の世の中、正社員の求人が、ほとんど、皆無にちかく、仮にあったとしても、職場を、変えたからって、上手く、やっていける自信が、全く、ないのです。いつ、切られるか、分からない不安定なパートでは、いろいろと、問題があって、到底、母と、妹を、養いながら、生きていくことができません。だから、どんなに、つらくても、つらくても、歯を、食いしばって、頑張り抜かないと、いけないのです。と、分かっていても、いつも、ひとのいないトイレや、エレベーターの中では、押さえきれずに、泣きっぱなし…、毎朝、通勤の電車の中で、イケナイことばかり、ぐるぐる、駆け巡ってしまいます…。仕事が、嫌なわけではありません。むしろ、働くことは、好きで、好きで、たまらないぐらいで、神さまが、喜ばれることなら、神さまのみこころなら、どんなことでも、頑張りたいのです。ただ、小さき私には、こころ、いためることが、多くて、耐えられないことばかり…、今日も、おひとりが、退職されて、大好きなひとが、次から、次々と、離れ去っていく…、そんなあまりにも、つらすぎる現実、どう、受け止めていいのか、分からないのです。それでも、きっと、何もかも、全てのことが、神さまのみこころなのでしょうか…?だとしたら、どんなことも、ありがとうと、受け取って、そして、神さまに、愛されたみんなと、仲良く、ただ、ただ、ひたすら、まっすぐに、あなたのために、頑張りたい…、そんな私の切ないぐらいのこころ、ちゃんと、届いているのでしょうか…?
明日から、最も、過酷な8月、きっと、恐ろしいぐらい、いろんなことが、待ち受けていることでしょう…。ひとつひとつの出来事、どう、受け止めて、生きていったらいいのか…、この世は、私にとって、あまりにも、つらすぎる…、でも、もう、なすすべがなく、どうすることもできない…、私には、何にも、選択肢がないのだから…、ただ、ただ、じっと、耐え忍ぶだけ…、いつの日か、憧れ続けてきた、大好きが、いっぱい、あの世界を、待ち望みながら…。きっと、神さま、こんな甘えんぼうの私、お叱りになられることでしょうね…。この世では、たくさんのひとが、いろんな痛みを、抱えながらも、精一杯、いのちを、生き抜いているというのに…、恵まれすぎた環境に、置かれていながらも、私、何て、なんて、ばち当たりな…、どうか、どうか、こんな、どうしようもない私のこころだけれど、回心するように、努力するので、少しでも、あなたの愛のみこころに、近付いていきますように…、大好きなみんなと、こころを、寄り添って、手を、つなぎあって、神さまに、愛されたひとりひとりの尊厳を、大切にしながら、仲良く、どんなときも、苦しみも、悲しみも、喜びも、ともに、支えあいながら、あなたの愛のために、生きていきたいのです…。
いつも、永遠に、デオ・グラツィアスと、ともに…
Il trentuno luglio giovedi,le nove e venti minuti del pomeriggio,sereno
Che calmo!
Vivo per mondo felice con cari tutti.
Buona notte.