生きる希望を…

おはようございます。まあなです。お目覚めは、いかがでしょうか…?また、新たな1日が、訪れましたね。こうして、朝を、迎える度に、ゆううつ…、何とか、今日も、無事に、生きることができますように…と、必死で、願わずにはいられません。今日は、1週間ぶりに、お休み、昔は、休みなく、昼夜、働き続けても、平気なぐらい、元気だったのに、もう、今では、1週間、頑張っただけでも、こころも、からだも、くたくた…、これから、教会へ、行かなきゃいけないのに、未だに、お布団の中、何だか、異様に、重たくて、なかなか、起き上がることができません。おそらは、お日さま、自信たっぷり、きらきら、光り輝いていて、こんなにも、こんなにも、明るいのに、私のこころは、いつまで、経っても、どんより、曇り空、今にも、悲しみの雨が、降り出しそうです。
世の中では、待ちに待った夏休みに、入りましたね。きっと、大好きな仲間たちと、ともに、遊びの計画を、立てたりと、いろんな楽しみで、にぎわいを、みせていることでしょう…。もう、今では、私にとって、遠い遠いゆめのよう…、あの楽しかった夏休みが、きりで、覆いかぶされつつあります。振り返れば、17年前、忙しい都会から、自然が、いっぱい、穏やかな田舎へ、引っ越ししてきたばかりで、家では、連日、引っ越しの片付けで、バタバタ、学校では、勉強の進み具合が、違って、あたふた、いろいろと、生活に慣れないときでした。けれども、周りのお友達と、そのときの担任の先生の暖かい支えがあったからこそ、何とか、乗り越えることができました。先生は、今の私より、ちょっと、若いぐらい、2学期、ちゃんと、ついていけるように、夏休み、ほとんど、毎日のように、わざわざ、私のために、時間を、とってくれたのです。とはいえ、勉強より、時を、忘れるぐらい、お菓子を、食べながら、わいわい、きゃーきゃー、いつまでも、おしゃべりばかりしていましたね。そして、大好きなお友達とは、とびっきりの笑顔で、たくさんの自然と、仲良くなって、砂浜や、草原を、転げ回ったりして、どろんこになりながら、時を、忘れるぐらい、無我夢中で、遊んだりして、楽しいときを、過ごしましたね。ここでの3年間、今までの人生の中で、きっと、もりもり、食べて、しっかり、遊んで、最も、私が、私らしく、いることができた、1番、幸せなときだったのかもしれません。その後、苦しみばかりの人生が、待ち受けているなんて、想像すら、つかなかったことでしょう…。まさか、15年後、ここまで、生きる気力を、失われてしまうなんて、当然、想像すら、できなかったことでしょう…。うつ病は、本当に、恐ろしい病です。今、こうして、じっとしているだけでも、ゆううつで、ゆううつで、仕方ないのです。もう、何にも、したくないし、もう、何にも、思いたくないのです。ただ、ただ、いつの日か、あの長い長いゆめで、出会った、遥かなときが、現実になるのを、待ち続けるのみです。髪は、伸ばしっぱなし、メイクさえも、できない…、2ヶ月間、申し訳ないながらも、お友達の誘いを、断り続けています。せめて、こんなどうしようもない私を、支えてくれる、大好きな仲間たちに、できるだけ、迷惑かけないために、必要最低限のことだけでも、できたらいいのだけれど、未だに、教会へ、行くことすら、躊躇してしまう、困ったちゃんの私がいます。
お仕事のほうは、早いものの、明日で、ちょうど、半年、慣れない環境で、いろいろ大変ながらも、こうして、今まで、何とか、乗り越えることができたのは、ともに、生きてくれる、大好きな仲間たちが、いてくれたからです。いつの日か、元気になったとき、小さき私なりに、何らかの形で、恩返しをしていけたらと、思います。
神さま…、
早く、元気になれますように…
今から、あなたに、会いに、行くから、待っていてね。
いつも、あなたと、ともに、デオ・グラツィアスです。

Il venti luglio domenica,le nove e mezz'ora del mattino,sereno
Buon giorno!