神さまが、全て

こんばんは。まあなです。やっと、今日も、1日、感謝のうちに、健やかに、終えて、幕が、降ろされようとしていますね。今日も、生きる、お仕事、お疲れさまです。生きているだけで、十分、頑張った、みんなに、こころから、いっぱい、いっぱいの花丸を、贈りたいですね。これからも、いつも、ずっと、ずっと、みんなで、頑張ったねって、愛する神さまを、囲んで、手を、取り合って、抱き締め合いましょうね。私のほうは、相変わらず、こころと、からだ、エネルギーを、使い果たしてしまって、くたくた…、お布団の中で、ぐうたらさんに、なっちゃっているのだけれど、どうか、こんな私にも、頑張ったねって、ぎゅっと、抱き締めてくださいね。さみしがりやの私、きっと、その愛を、支えに、明日も、生きること、頑張ることができると、思いますから…。
梅雨の真っ直中、くもりさんと、雨粒さんたちのパレードで、楽しく、にぎわっていますね。まるで、止まることを、知らずに、降り続ける雨って、ゆううつなこころに、なっちゃいそうだけれど、きっと、雨も、愛する神さまからの愛なる贈り物、そう思うと、私の手のひらに、舞い落ちてくる、1つ1つの雨粒さんたちが、とても、愛おしくなっちゃいそうですね。雨粒さんたちの働きのおかげで、生きとし生ける、全ての生たちが、いのちを、美しく、輝き出すことができますものね。そして、やがて、いつの日か、お日さまのまばゆいばかりの光を、受けて、希望の実が、結ばれることなのでしょうね。今、私のこころは、まるで、止まることを、知らない雨のよう…、でも、きっと、いつの日か、美しい実となるためですものね。だから、雨って、とっても、なくてはならない、大切な役割を、担っているのです。
ここのところ、どうやら、うつの頂点を、達していたようですね。なかなか、お休みが、取れないため、心療内科、ゆめへ、受診できなくて、お薬が、キレたまま…、こころと、からだ、あたまが、いっぱい、いっぱいになりすぎて、悲鳴を、あげていました。何にも、見えない、真っ暗闇の中、どんなに、こころの声を、あげても、どんなに、こころの手を、伸ばしても、全く、届きそうにない…、ただ、ただ、行き場のなさを、感じながら、さまよい続けていました。頭の中が、まるで、何か、鉛のようなものに、縛り付けられたように、重くて、重くて、そして、息苦しくて、何度も、パニック発作を、起こしてしまって、眠れない夜を、必死に、耐えながら、過ごしていました。本当に、どうしてなのでしょうね…。もう、十分、幸せに、満たされて、これ以上、何も、望んでいないはずなのに…、どうして、こころと、からだが、満足してくれないのでしょうね…。神さま、きっと、こんな、どうしようもない、だめだめ子のこと、あきられてしまうのかしら…。いや、こんな子だからこそ、愛を、持って、気にかけてくださって、呼びかけてくださったからだと、信じています。
こんな、はしための迷えるこひつじ、1匹さえも、かけがえのない宝物のように、愛を持って、憐れんでくださったこと、本当に、感謝します。神さま…、私にとって、あなたが、全て、あなたがいるから、私がいるのですね。私のいのちのみなもと、あなたから、出ていって、あなたへと、帰っていくために、こうして、今、生かされている…、この真実を、やっと、思い起こすことができて、何だか、安心しちゃいましたね…。ひとりなんかじゃない…、いつ、どんなときも、ともに、いてくださる、あまりにも、つらくて、おしつぶされそうになったときは、神さまが、代わりに、背負ってくださって、そんな私を、おぶってくださるから、大丈夫、大丈夫、あぁ…、今夜は、あなたのあふれるばかりの愛の中で、抱き締められながら、いつの日か、みんな、みんな笑顔での幸せに、満ちあふれたときを、夢みながら、優しい眠りに、就くことができますように…。
Il trenta giugno lunedi,le undici e un quarto del pomeriggio,nuvoloso qualche volta pioggia
Buona notte…
Dio,ti amo.