ながさきでの愛

こんばんは。まあなです。ながさきでのときから、3日…、ふたたび、梅雨が、舞い戻ってきましたね。窓際から、しとしと、降り続ける、雨を、眺めながら、いつまで、経っても、ゆううつなこころのままでいます。
神さまが、最も、満ちあふれている中、愛と、出会って、愛を、知って、愛を、生きると、決意したところ、ながさき…、3年目の夏を、迎えるに、あたって、ふたたび、あふれるばかりの思いを、抱えながら、天使に、導かれるように、舞い降りました。
私の親しみ、慣れた、街の中心、はかたから、2時間かけて、ながさきへ…、足を、踏み入れた途端、ながさきの空気が…、自然が…、まるで、何もかもが、ぱぁ〜と、開けて、ふたたび、ようこそって、歓迎してくれているようで、思わず、ほんわか、暖かくなり、あの愛しさが、あふれるばかりに、蘇ってきました。
まずは、あのときと、同じように、ながさき駅の近辺の教会、中町カトリック教会へ、あのイエスさまの十字架を、中心に、安らかで、荘厳な空気が、漂う中、ながさきでのときを、ながさきとの再会を、喜びながら、よろしくお願いしますと、こころと、手を、合わせて、お祈りしました。
次に、日本26聖人殉教地へ…、禁制の時代、耐えがたい迫害の中であっても、堅く、信仰を、貫き通した、26人のこころ、姿勢、長いときを、わたって、どれだけ、たくさんの人のこころに、強く、打たれたことでしょう。きっと、神さまは、そんな26のこころを、愛と、いつくしみと、憐れみを、もって、最も、祝福されて、栄光へ、上げられたことなのでしょうね。私も、26聖人に、倣って、神さまと、しっかり、向き合って、信仰を、深めて、何よりも、大切な愛のために、キリスト者として、日々、成長していけたらと、思います。
その次に、昔懐かしき、路面電車で、中華街へ…、何と、そこへ、着いた途端、どうすることもできない孤独感と、不安感が、どっと、ふいに、襲ってきたのです。見渡すかぎり、慣れない風景で、たったひとり、となりには、誰も、いない…、私は、誰も、知らない、誰も、私のこと、知らない…、ただ、ただ、何かに、すがりつきたくて、思わず、中国貿易公司のお店の表で、看板娘のように、ちょこんと、座っていた、パンダさんと、おめめが、あったと、思いきや、抱きついてしまって、とうとう、私の子にしてしまったのです。何だか、私のお部屋、まるで、ぬいぐるみ屋敷、お布団の横には、ずらりと、ぬいぐるみが…。そこで、小腹が、すいて、ぷち、昼食、ながさき名物、角煮まんじゅうを、ちいちゃいの、1個、おいしく、頬張りました。
大分、こころが、和らいでから、ふたたび、路面電車で、プチ・ジャン神父さまのもとで、日本で、初めて、献堂された、国宝、大浦天主堂へ…、140年前、250年ぶりのキリシタンと、神父さまの再会、いかなるものであったのでしょうね。たくさんの苦しみを、乗り越えて、やっと、再会という喜びが…、そんなこころが、今、ときを、超えて、私のこころに、伝わってくるようで…、感動で、涙が、あふれ流れてきました。今、私が、こうして、いれるのは、そんな、守り通した、強い信仰のこころのおかげなのだと、そして、その事実を、後世へ、永遠に、受け継いでいかなければいけないのだと、140年間、ともに、生き続けてきた、あの純白な、私たちのために、祈ってくださる、マリアの前で、誓いました。それから、聖堂へ、安心で、満たされたのか、ふいに、眠気が、襲ってきて、ついには、優しくて、穏やかな、140年間のときの中で、まるで、マリアさまの腕に、抱かれるように、コクリコクリと、眠りこけてしまいました。マリアさまに、手を、引かれながら、大好きなお友達と、いっぱい、いっぱい、笑っている、ゆめの世界へ…。
眠りから、目覚めたあと、ふたたび、ながさき駅へ、今度は、バスに、乗って、神の鳥カトリック教会へ…、着いた途端、だんだん、ひどくなってくる雨の中、さっきまで、あれだけ、安らかなこころでいたはずなのに…、なぜか…、立ちすくんでしまったのです。神の鳥カトリック教会…、2年前、愛しい人に、導かれた教会、そっと、目を、閉じれば、愛しい人とのときの中で、見渡すかぎりの海を、目の当たりに、立つ、岬の白亜色の教会、ちょっと、視線を、変えれば、地平線のはるかかなたの世界まで、優しく、見守る、マリアさまが…、今までの人生のたくさんの苦しみが、だんだん、喜びへと、変わっていく、幸せな風景が、そこに、あったのです。涙が、あふれ流れてきました。ずっと、ずっと、探し求めていたものが、やっと、やっと、この手に…、それは、本当の愛でした。愛しい人のおそばで、そんな私を、大丈夫だよ…と、そっと、ただ、ただ、暖かく、見守ってくれているようでした。教会の中へ、私たちを、愛するあまり、私たちの罪や、重荷から、救うために、与えてくださった、ご自分の御子、十字架のイエスさまを、通して、神さまと、真正面から、向き合って、このとき、私が、初めて、カトリックへ、生きると、新たに、決意を、堅めた、瞬間でもありました。ずっと、ずっと、ここから、離れたくありませんでした。たとえ、私の全てを、ささげることになっても、それで、いいと、思いました。
どんなに、届けたくても、もう、2度と、届くことがない、こころを…、神さまは、受け止めてくださるのでしょうか…?
最後は、ふたたび、路面電車で、平和公園を、通って、この夜の宿泊地、カトリックセンターのおそば、赤いレンガの堂々とした、外観が、さらに、スポットライトに、照らされて、まるで、神さまによる、永遠の栄光を、表すかのような、浦上天主堂へ…、気が付けば、もう、辺りは、真っ暗になっていましたね。浦上天主堂…、63年前、教会堂と、ともに、たくさんのいのちが、失われた、たくさんの悲しみを、抱えた、被爆した、マリアさまが…、だから、きっと、私のこの悲しみを、分かってくれているのでしょうね。何よりも、大きな慰め…、愛しい人と、訪れたところでもあって、ただ、ただ、愛しくて、愛しくて、涙が、あふれ流れてきました。
1日目は、ここで、終わり、カトリックセンターの人たちの暖かい雰囲気の中、実りある1日に、感謝しながら、床に、就きました。ひかりに、満ちた、美しい浦上天主堂を、眺めながら、パンダちゃんを、ぎゅっと、抱き締めて、幸せいっぱいのゆめの世界へ…。

今夜も、デオ・グラツィアスと、ともに、おやすみなさい…。
Il ventuno giugno venerdi.le nove e tre quarti del pomeriggio,pioggia
Grazie Nagasaki fantastico.
Buona notte.