ふたたび、あの愛へ…

こんにちは。まあなです。今日から、ふたたび、新たな1週間が、始まりましたね。今週も、感謝と、祈りのうちに、こころを、寄り添って、手を、つないで、ともに、生きていきましょうね。
あなたも、私も、大丈夫、神さま、イエスさま、マリアさまを、通して、私たちは、1つなのですから…。
昨日は、滞りなく、降り続ける、雨粒の音たちが、私のこころを、ゆううつにさせてしまった上に、お仕事から、帰宅後、何と、母のヒステリックが、起こっていて、さらに、どん底へ、突き落とされてしまいました。このヒステリックは、きっと、私のせい…、少しでも、母の苦しみを、分かってあげられたらいいのだけれど、弱くて、小さき私は、自分のことで、いっぱい、いっぱいで、そんなこころのゆとりがなくて、つい、びくびくしてしまいます。ものごころ、ついたときから、いい子じゃない私が、悪いのだと、そんな私は、イラナイのだと、どれだけ、自分を、責め続けてきたのでしょうね。27歳になっても、相変わらず、できそこないの私は、落ち着かず、いろんな人に、迷惑かけっぱなし、ただ、ただ、自分を、責めずには、いられません。もう、これ以上、自分では、どうすることも、できないので、ただ、ただ、神さまに、何もかも、お任せするのみ、助けてくださいと、ひたすら、願い求めながら、昨夜は、床に、就きました。
神さまへの思いが、伝わったのでしょうか…、今朝、少しでも、和らいだ、こころのまま、目覚めれば、もこもこ、雲から、まるで、希望を、示すかのように、ささやかな、お日さまの光が…、その光に、照らされて、雨上がり、雨粒を、滴れた自然たちを、みずみずしく、美しくさせていますね。そんな、あまりの自然たちの神秘的な姿に、ただ、ただ、圧倒されてしまって、神さまが、造られたものって、こんなに、こんなに、美しいのだと、感動せずにはいられません。
今、お気に入りのお洋服と、メークで、おしゃれして、ふたたび、たくさんの愛しさを、抱えながら、愛しくて、愛しくて、たまらない、最も、神さまが、満ちあふれているところ、長崎へ、向かっています。バスの窓から、眺める、たくさんの美しい光に、満ちた、自然たちに、ごあいさつしながら、長崎での素敵なときを、思い巡らせているところです。きょうこちゃんの退職後、2日間、職場を、あけることで、いろんな人に、迷惑かけて、申し訳ないと、思うけれど、旅行後、きっと、きっと、きょうこちゃんのあとに、続いて、頑張るから、どうか、ひと時のリフレッシュを、許してくださいというこころを、しっかり、持って、長崎を、思いっきり、満喫してこようと、思います。
気が付けば、イタリアツアーから、ちょうど、1年、やっと、神さまの子どもになることができて、何もかもが、喜びに、満ちあふれていた、あのころが、遥か昔のようで、懐かしく、思ってしまいます。いつか、苦しみが、より、いっそうの喜びへと、変わって、あのこころに、ふたたび、出会うことができるのでしょうか…?いろんな苦しみのうちに、ついに、こころの病を、患ってしまって、生の原点とは…、いのちとは…、生きるとは…、いろんな疑問へ、たどり着きました。
神さま、私、もう、これ以上、どうしたらいいのか、分かりません。だだっ子ながらも、精一杯、生きてきました。きっと、これからも、今まで、通り、変りなく、精一杯、生き続けていくことでしょう。いったい、何のために、果たして、どこへ、向かっているのか、そんな自分に、意味があるのか…、今は、何も、分からなくても、神さまが、限りない愛を、持って、少しずつ、何らかの方法で、あらゆる疑問に、応えてくださることでしょう。きっと、それらは、良いように…。
さあ、いよいよ、長崎へ…、愛しい人と、出会ったところで、ふたたび、愛しい人とのときを、たどって、デオ・グラツィアスと、ともに、まあな、今日は、この場所で、愛を、証してきます。
Il seidici giugno lunedi,le undici e mezz'ora e mattino,nuvoloso qualche volta pioggia
Buon giorno!
Ancora vivo per amore di dio.
Grazie e Arrivederci