生かせてくれて…

こんばんは。まあなです。今日は、ざあざあ、途切れなく、降り続ける、雨模様が、影響しているのでしょうか…、まるで、私の悲しみの心を、映し出した鏡のよう…、あの離人症と、思われる、闇が、どっと、襲ってきて、1日中、いろいろと、生きることに、支障が、あって、大変だったけれど、何とか、乗り切ることができて、やっと、落ち着いて、これから、十分に、休憩を、とろうとしている今、今日も、感謝のうちに、かけがえのない、たった1日の今日へ、さようならを…、そして、また、かけがえのない、たった1日の明日へ、新たに、生きる命が、良いものとして、希望の光として、輝くことができますように…、そして、1人ひとりが、そんな私と、同じように、光の子として、照らし合いながら、大きなかがり火となって、共に、生きることができるように…、私たちの唯一の希望、神さまが、おられる天国へ、向けて、祈りを、捧げているところです。
この前の、枝の主日の日曜日、南のほうの研修が、無事に、終わって、ほっとしたのも、つかの間、また、月曜日から、本職場へ、戻って、新しい月が、始まり(ここは、15日締めです。)、より良い職場に、するために、勤務編成や、仕事内容など、いろいろと、改革されるとのこと、ここのところ、ずっと、目まぐるしいほど、忙しくて、しばらくは、落ち着くまで、きっと、いろいろと、大変なことでしょう。何とか、頑張っていかなければ…と、重い身体と、心に、むちを、与えようとしているのだけど…、いや、絶対に、何が何でも、頑張らないといけないのです。頑張らないと、私が、生きている意味なんて、何もないのですから…。私にとって、頑張るのみが、唯一な道なのですから…。それは、課せられた使命として、紛れもない事実、神さま、どうか、どうか、私が、きちんと、受け止めて、自分に、与えられた、能力を、100%、フルに、使って、頑張れるだけ、頑張ることができるように、あなたの助力を、お与えくださいね。よろしくお願いします。
一昨日、昨日と、2夜連続、「東京大空襲」を、テーマにした、ドラマが、放映されました。私には、あまりにも、想像を、絶するようなシーンが、次々と…、63年前…、本当に、こんな出来事が、あのとき、あの場所で…、現実に、行われていたなんて…、ここのところ、ずっと、仕事や、いろいろと、大変なことがありすぎて、ずっと、積もりに、積もった、思いなども、含めて、無念さや、憤り…、言葉に、ならない思いたちが、涙と、ともに、どっと、溢れ流れてきて、息苦しくなりました。あの時代、どんなに、生きたいって、願っていても、生きられなかった人が、たくさん、いる…、そして、今も、なお、世界中でも…、そんな人たちの、「生きたい」という強い思いが、痛いほど、伝わってきて、自分は、そんな心たちのために、何が何でも、生き抜かないといけないと、思わざるをえません。日頃、何か、ある度に、すぐに、絶望的になって、生きることに、自信を、なくしてしまう私、何だか、そんな自分が、あまりにも、小さく、思ってきて、とても、恥ずかしいです。生きたくても、生きられなかった、たくさんの人の心たち、今、生きている私たちが、しっかり、理解して、後生へ、受け継いでいくこと、それは、お互いが、お互いの命を、大切に、思って、歩み寄って、仲良くすることではないかと、思います。きっと、きっと、それが、何よりも、愛なる神さまのみこころですね。
カトリックで、最も、大切なとき、長い、ながい、四旬節のクライマックス、聖週間も、中盤に、入りましたね。気が付けば、日にちが、変わり、今日、聖木曜日は、聖なる過越の3日間の1日目、最後の晩餐ですね。聖週間、自分の心を、見つめ直して、神さまと、向き合って、より良く、生きることができますように…、ほら、1年前のあのころの私が、蘇ってくる…、あの私のように、ちらほらと、芽生えはじめて、何もかもが、明るく、リズムに、乗り始める、大好きな春と、ともに、また、とびっきりの笑顔の元気な、まなちゃんに、巡り会うことができますように…。
デオ・グラツィアスと、世界のみんなの幸せを、祈って…、
神さま、今日も、私を、生かしてくれて、ありがとうございます。

Il diciannove marzo mercoledi,le undici e mezz'ora del pomeriggio,pioggia qualche volta nuvoloso.

Buon giovedi santo.
Benedo cenecolo con tutti di mondo.
Ringrazio cosi giorno magnifico!
Ciao ci vediamo.
Arrivederci.
Dio Grazie molto!