元気になりたい…

こんにちは。まあなです。今日は、3日間、頑張ったあとのお休み、それに、マリアさまと、ともに、イエスさまの一生を、黙そうする、カトリックでは、とても、大切な、お祈り、ロザリオでは、希望を、表す、光の神秘の木曜日、嬉しいですね。研修も、ちょっと、悲しきかな、あと、残すところ、3日と、なりました。今日、しっかり、休むことで、エネルギーを、蓄えて、3日間、悔いのないように、頑張ることが出来たらと、思います。
さっき、遅めの朝食、砂糖と、しょうゆ付けのおもちと、昨日の、研修先の夕食、白身魚の甘酢煮など、あるものを、簡単に、済ませたばかりです。今、ベッドの中で、窓へ、差し込む、まばゆいばかりのお日さまの光に、ぽかぽか、あたりながら、相変わらず、ぐうたらな朝を、過ごしています。でも、まあ、思いのままに、過ごすことが、大切ですね。
ここのところ、いろいろと、環境が、変わる中、頑張りすぎて、疲れきっていたせいか、心身ともに、ピークを、達して、悲鳴を、あげていたようで、あまり、具合が、良くなかったです。どうしてなのでしょうか…?あの夏、倒れ込んでしまったときから、ちょっとでも、頑張りすぎると、すぐに、具合が、悪くなってしまうのです。昔は、どんなに、頑張りすぎても、全然、びくとも、しないような、健康優良児だったのに…、何だか、とても、歯がゆいです。本当は、もっと、元気になって、思いっきり、頑張りたい、でも、そんな心を、裏切るかのように、身体が…、頭が…、全然、言うことを、きいてくれないのです。うぅ…、そんな、やりきれない思いたちが、どっと、溢れてきて、涙が出ます。神さま、こんな私の心、受け止めてくださるのでしょうか…?どうか、どうか、私が、とびっきりの笑顔で、元気になることが出来るように…、あなたの助力を…、いや、あなたのみこころのままに、生きることが出来るように、あなたの支えを、いただきたいです。また、あの頃のように、大好きな友だちと、ばかばっかり、言ったりして、笑顔が、絶えなかった、お日さま、きらきら、輝く、昼下がりのひだまりのようなときが、また、訪れますように…。ただ、ただ、「元気になりたい」思いで、いっぱい、いっぱいです。
これから、何とも、言えない、離人症と、思われる、私の症状、1つずつ、あげていきますね。まずは、上から、頭…、何か、鉛のような重りに、覆われているようで、上手く、考えることが出来なくて、上手く、自分の考えを、まとめることが出来ないこと、目…、周りが、ぼやけて、見えるため、焦点が、定まらなくて、よく、つまづいて、こけてしまうこと、耳…、上手く、周りの音、そして、自分の言葉が、聞き取ることが、出来ないこと、口…、自分が、思うままに、上手く、話すことが出来ないこと、だから、周りとのコミュニケーションを、上手く、取ることが出来なくて、今では、人との関わりが、苦痛です。身体…、宙に、浮いているようで、自分が、生きているという、現実感が、なくなってしまうことなど、いろいろです。どうして、こんな病を、患ってしまったのでしょうか…?今の私には、さっぱり、分かりません。これから、自分が、どうなっていくのか…、自分が、どんな生を、歩むように、なるのか…、何もかも、分かりません。本当に、分からないことだらけです。ただ、ただ、暗闇の中、何も、考えられないまま…、何も、見えないまま…、何も、聞こえないまま、さまよい続けていくだけのようで、すごく、すごく、恐ろしいです。いや、ここで、ストップ、それでも、私は、心のどこかで、神さまを、信じているから、きっと、きっと、大丈夫です。
私の隣には、愛しさ、たっぷりのフィレンツェの写真、そして、洗礼台帳のコピー、洗礼の記念品たち、今では、ドライフラワーになっている、お花、あの頃と、変わらない、愛で、1日も、欠かさず、私の眠りを、見守って、私の目覚めを、支えてくれています。もう、気が付けば、1年が、経つのですね。今年は、早めの復活祭(イースター)、今年の復活徹夜祭に、受洗される、おふたりに、思い出深き、サン・ピエトロ大聖堂の十字架を、お手紙を、添えて、贈りたいと、思います。
今、いろんな思いたちで、心が、いっぱい、いっぱいになっています。これから、暖かな陽気の中、春を、楽しみながら、おつかいを、してこようと、思います。
いつまでも、デオ・グラツィアスと、ともに…。
Il tredici marzo giovedi 2008,le undici mazz'ora del mattino,sereno

Buon giorno!
Mio favorito molto di primavera e Che mite!
Auguro sorriso vivace.
Mattimo insieme cuore e forza eternamente.
Ciao ci vediamo.
Buon riposo fantastico!

1日、遅れたけれど、1年前の綴りです。神さまへのひたむきな思いが、いっぱい、いっぱいで、初々しい、あの頃の私に、ちょっぴり、愛しているって、抱き締めてあげたい思いです。

心の吐き出し口(洗礼式まで、あと、26日)
こんにちは。まあなです。今、お昼休みで、みんなと、わいわい、賑やかに、過ごしています。ここのところ、暖かくなったり、寒くなったりと、不安定な天気が、続いていますね。気温の変動が激しい、この季節、風邪を、引かないように、うがいや、手洗いなどを、徹底して、体調管理に、気を付けていきましょうね。昨日は、四旬節第3主日、言葉の典礼は、モーセが、神様に、召された場面ででした。説教の後は、洗礼志願者のための清めと、照らしの儀式が、行われて、ますます、キリストに従って、生きる決意を、堅めることが、出来ました。この四旬節の間、洗礼志願者として、キリストの復活に向けて、罪に、打ち勝つことが、出来るように、祈り、節制、愛の施しを、日々、心掛けることが、出来たらと、思います。最近は、洗礼式の日が、近付くにつれて、いろんなことを、思考します。過去のこと、今のこと、将来のこと、自分自身のこと、人生のこと…、いろいろです。今までの人生を、振り返ってみれば、走馬灯のように、いろんな出来事が、蘇ってきます。楽しかったこと、悲しかったこと、辛かったこと、苦しかったこと、いろんなことが、あったけれど、いつ、どんな時も、どんな瞬間も、自分なりに、精一杯、より良いように、思考しながら、頑張れるだけ、頑張ったと、思います。気が付けば、去年の復活徹夜祭の洗礼式、4月15日、カトリックへ、生きると、強く、決意した、あの時から、もう、一年が、経とうとしています。この一年間、来年の復活徹夜祭の洗礼式、4月7日のために、どんなことがあっても、頑張って、生き抜こうと、思いました。今、いろんな思いで、心が、いっぱい、いっぱいになって、涙が溢れてきます。本当に、大変な人生で、過去のトラウマが、フラッシュバックする度に、自分という存在、自分が生きているこの人生が、無意味のように、思えて、生きることが、嫌になって、死にたいと、思ったことでしょう。私の場合、何故、こんなにも、生き辛さを、感じながら、生きてきたのかと言えば、やはり、心の吐き出し口がなかったことが、一番、大きかったかもしれません。昔から、自分は、駄目な人間なんだから、少しでも、良い子でいなければと、必死で、自分の気持ちを、押し殺しながら、生きてきました。だから、周囲に、本当の自分を、見せられなくて、いつも、自分一人だけのような気がして、孤独でした。ある日、そんな私にも、転機が訪れました。それは、キリスト教との出会いです。愛なる神様に、いろんな恵みを、頂いてから、少しずつ、神様に、良しとされて、愛して下さる私の存在を、ありのままに、受け入れることが出来て、私の人生に、希望の光が、射し込んできました。周囲にも、心を開くことが出来るようになって、いろんな人と、いろんな思いを、共感し合うことが出来て、自分は一人ではないと、思えてきました。私たち、一人一人が、キリストの身体の部分で、共に、支え合うことが、大切だと、神様が、示して下さっていると、思います。今、苦悩している人、どうか、一人で、抱え込まないでください。ヘルプを、求める勇気を、持ってください。心の吐き出し口を、見付けてください。命の電話などの公共機関でも、良いと、思います。あなたは、一人ではないという真実を、心に、留めて、置いてください。神様の豊かな恵みと、深い憐れみを、受けながら、愛し愛されながら、支え合いながら、共に、生きていきましょうね。これから、また、一週間、いろいろ、あると、思うけれど、いつも、自分らしく、頑張りたいと、思います。
Un'anno fa
Il dodici marzo lunedi 2007