愛する、神さまへ

こんにちは。まあなです。いつも、お疲れさまです。今日も、1日、感謝と、祈りのうちに、何とか、乗り切ることが出来た、私を、ちょっぴり、頑張ったねって、褒めてあげたいような気持ちです。勤務の最後のとき、お疲れさま!!って、みんなで、夕食の試食を、美味しく、味わいながら、わいわい、おしゃべりしたりすることが、毎日の楽しみの1つですね。今、やっと、電車の中で、ほっと一息、窓から、みえる、果てしなく、続く、夕日に、染まった、オレンジ色の風景が、あまりにも、神秘的で、美しく、感動で、心が、いっぱい、いっぱいになってしまいました。神さまが、愛の息吹きで、造られた、自然たちって、こんなにも、こんなにも、偉大で、素晴らしいのですね。それなのに、どうして、私は、いつも、目先のことばかりで、くよくよ、思い悩んでしまうのだろうって…、そんな私が、あまりにも、ちっぽけに、思えてきて、思わず、肩の力が、抜けて、深呼吸してしまって、そのままの私で、大丈夫だよって、思うようになりました。
ここ数日、まさに、2月らしい、寒波が、続いていますね。寒くて、寒くて、手足が、かじかむと、ともに、心まで、凍り付いてしまいそうになるけれど、何とか、自分なりに、神さまの愛を、生きるエネルギーにして、心を、ぽかぽかに、しながら、頑張ろうと、思います。心も、お天気と、関係があるのでしょうか…?気のせいかもしれないけれど、お天気が、悪ければ、悪いほど、どうも、心の状態も、悪いようですね。そんなとき、襲われる、怖くて、恐ろしい闇に、覆われた、離人症、周りが、ぼやけたり、何も、考えられなくなって、訳が分からなくなったりと、自分という存在が、蝕まれて、消えて、なくなってしまいそうな感覚でしょうか…?いったい、この先、どうなるか、全く、見通しが付かなくて、不安で、不安で、たまらないけれど、ちっぽけな私1人では、どうすることも出来なくて、いや、もともと、生かされている存在だから、何か、しようとすることは、不可能だと、心に、留めて、こんな私のこと、何もかも、ご存知の、神さまを、ただ、ただ、信じ続けるのみですね。神さまにとって、こんな私でも、いや、こんな私だから…、愛するあまり、愛の息吹きで、命を、授けられて、永遠の幸せへ、向かって、人生を、与えられた、かけがえのない存在であって、だから、悪いようにはなさらない、必ず、良いようにしてくださるという、紛れもない真実があるかぎり、たとえ、どんなに、だめだって、思うことがあっても、絶対に、大丈夫なのです。これからも、大丈夫、大丈夫って、おまじないのように、自分に、言い聞かせながら、私は、私のペースで、私らしく、頑張って、生きようと、思います。神さま、こんな私だけれど、あなたに、何もかも、委ねて、お任せするので、どうか、どうか、いつも、いつまでも、私と、ともに、あって、私を、あなたの思うままに、導いてくださいね。
昨夜、ちょうど、1年前の綴りを、通して、そのころの私と、出会って、いろんな思いたちで、いっぱい、いっぱいになってしまいました。受洗に、向けて、神さまへのひたむきな、あのころの私に…、そっと、伝えてあげたい、あと、もう少しだよ、必ず、いっぱい、いっぱい、祝福に、満ち溢れた、最高の喜びのときが、待っているからね、ともに、受難の四旬節を、乗り越えようねって…、だって、だって、こんなにも、こんなにも、幸せな私が、今、いるんだもんねって…、神さま、どうか、どうか、あのころの私を、今の私へ、繋がるように、そして、1年後の私へ、同じように、繋がるように、見守っていてくださいね。よろしくお願いします。
永遠の幸せへ、デオ・グラツィアスと、ともに…。
Il ventisette febbraio mercoledi 2008,le sei e dieci minuti del pomeriggio,nuvoloso qualche volta bel tempo
Grazie caro dio!
Tutto per felicita eternamente.
Buona serata!
Ciao,ci vediamo.
Grazie mille.
ちょうど、1年前の綴りです。

新たな気持ちで…(洗礼式まで、あと、39日)
おはようございます。まあなです。お久しぶりです。お元気でしょうか…?私は、花粉症気味ながらも、心身ともに、元気です。昨日も、春だと、思う程、暖かかったですね。きっと、あちらこちらで、たくさんの命が、芽生えてきているとのことで、もう、春でしょうね。最近は、いろいろと、あり過ぎて、自分の心と、向き合う時間が、殆ど、ありませんでした。何と、先々週の木曜日、15日の夕方、家に、居たにも、関わらず、盗難に、遭ってしまいました。妹のハンドバック(家の鍵、学生証、銀行印、携帯、眼鏡等が、入っていました。)が、盗られたのです。私の家は、盗難に、遭いにくいと、油断していたことが、大きな過ちでしょうか…?盗難に遭ったこと自体、本当に、ショックだったけれども、命があっただけでも、良かったと、思うし、防犯に対しての意識が、高くなったと思うので、これは、これで、益になったかもしれません。しばらくは、警察からの事情聴取、鍵の付け替え等の防犯対策、それに、妹の京都の引っ越しの準備を、重ねながらと、いろいろと、大変でした。今は、一段落して、大分、落ち着きました。コメントを、下さった方、見守って下さった方、本当に、ありがとうございました。多くの方の暖かい支えに、どれだけ、救われたことでしょう。心から、感謝の気持ちで、いっぱいです。一昨日、2月25日、四旬節第1主日、お陰様で、無事に、洗礼志願式を、迎えることが出来ました。晴れて、求道者から、洗礼志願者に、なりました。神父様の説教の後に、洗礼志願式が、行われました。洗礼志願式とは、その年の復活祭に、入信の秘跡(洗礼、堅信、聖体)を、受ける事を、承認されて、新たに、キリスト者して、気持ちを、堅めるものです。洗礼志願書に、自分の名前を、署名した時、自分は、いよいよ、神様の子供として、導かれるんだなぁと、喜びで、心が、いっぱいになりました。その後は、使徒信条と、救いの塗油を、授かりました。箱崎カトリック教会では、2007年の復活徹夜祭、聖土曜日に、私を、含めて、3人(2人は、ご夫婦です。)、受洗する予定です。洗礼式まで、あと、39日、とても、待ち遠しいです。この日を、どれだけ、夢見ていたことでしょう…。私が、キリスト者として、生きることに、関して、母と、何度も、衝突して、いろいろ、あったけれど、今では、母は、母なりに、私の道を、応援してくれているようで、とても、有り難いです。いつも、母がいるから、私がいるという真実を、心に留めて、母への感謝と、尊敬の気持ちは、決して、忘れてはいけないですね。一昨日、いただいた、「キリストのたとえ話」、素晴らし過ぎて、止められない、止まらないって、感じで、暇さえあれば、夢中になって、読んでしまいます。四旬節の間、いろいろと、あるかもしれないけれど、いつも、祈りと感謝のうちに、キリスト者として、喜びを持って、周囲への愛を、施しながら、自分らしく、過ごしていけたらと、思います。未熟者ですが、これからも、よろしくお願いしますm(_ _)m

Un'anno fa
Il ventisette febbraio martedi 2007