回心のしるし

こんばんは。まあなです。今日も、1日、お疲れさまです。きっと、私を、含め、世界のみんなのこと、優しい光に、満ちた、お月さまが、頑張ったね、ゆっくり、休んでねって、そして、明日も、ともに、頑張ろうねって、微笑ましく、見守ってくださっていることでしょうね。
一昨日、水曜日は、久しぶりに、明るい光に、満ちた、元気な、お日さまと、ともに、目覚めのいい朝から、始まり、喜びに、満ちた、有意義な休日を、過ごすことが出来たことに、感謝します。
午前10時、箱崎カトリック教会にて、四旬節の入り、灰の水曜日のミサが、行われました。イエスさまが、ヨルダン川で、ヨハネから、洗礼を、授けられた後、荒れ野に、留まって、祈りと、断食を、行われた、40日間を、カトリック典礼季節、四旬節と、言われています。ローマの教会では、4世紀後半に、導入されたそうです。この期間は、イエスさまの宣教生活の頂点、すなわち、主の晩さん、十字架上での死、復活を、祝う、聖なる過越の3日間に、向かう準備に、位置付けられています。
また、復活徹夜祭に、受洗する、入信志願者の最終的な準備期間とも、されてきました。洗礼は、イエスさまの死を、通して、私たちの罪が、許され、賜物として、聖霊を、受けて、イエスさまの復活の命に、結ばれるのです。この四旬節は、信者にとっても、また、入信志願者にとっても、洗礼の恵みに、より、深く、生きることについて、黙そうする、よい機会です。
灰の水曜日のミサ、いつもどおり、神様の満ち溢れた、愛の中で、イエスさまと、ともに、マリアさまの清らかな微笑みを、思い浮かべながら、みんなと、心を、一致して、祈りと、感謝のうちに、ミサの幕が、開かれました。神様と、向き合って、「神様、信じています。」と、神様への信仰を表す、十字架のしるしをしたとき、神様、いつも、私と、ともに、いてくださっているんだと、何とも、言えない、喜びが、心と、身体いっぱいに、広がりますね。そんな喜びを、噛み締めながら、祈り、あわれみの讃歌、言葉の典礼、神父さまの説教と、次々と、執り行われました。説教のあと、いつもと、違う、灰の水曜日のメイン、灰の儀式が、行われました。もともと、私たちは、ちりであって、ちりへ、帰っていくものということを、心に、留めて、日々、自分の心を、見つめ直して、悔い改め、許しを、請うことで、神様は、イエスさまを、通して、そんな私たちの心を、聞き入れられ、愛の息吹きによって、許されて、清くされ、新たな命へと、繋がるものとしてくださるのです。神父さまによって、「回心して、福音を、信じなさい。」と、頭に、灰を、受けたとき、イエスさまと、ともに、苦しみのなかにあっても、四旬節において、信仰を、深めて、よりよい、キリスト者として、生きるために、大切なこと、祈り、節制、愛の施し、自分なりに、努めていって、少しでも、有意義なときを、過ごせたらと、思いました。平日ということで、主日ミサに、比べれば、少人数だったけれど、イエスさまの名において、集まれば、2、3人でも、大いに、祝福されるっていうこと、きちんと、みことばに、ありますものね。
ミサのあと、近くの大型ショッピングモール、ゆめタウンで、ぶらぶらして、12時に、3週間ぶりに、待ちに、待った、前の職場、大好きな、かねふくのみんなへ、私らしく、健やかに、生きるエネルギー補給のため、レッツゴー、私の元気のもと、いつもと、変わらない、みんなの笑顔が、私を、暖かく、歓迎してくれました。何と、あの大好きな、ちえちゃんが、かねふくへ、帰ってきたのです。そんな、ちえちゃんと、思わず、頑張っているねって、ぎゅっと、抱きしめ合ってしまいました。ちえちゃん、お母さんしながら、よく、頑張っているですものね。そして、大好きな1人ひとりと、「どうしてた?」とか、「元気だった?」とか、近況報告と、ともに、相変わらず、おもしろ、おかしいネタも、突っ込み、おしゃべりをしたりしていきながら、最高に、楽しいときを、過ごすことが出来ました。やっぱり、みんな、大好き!!大好きで、大好きで、たまらない、だって、ここが、私の第3のふるさとですものね。何と、私が、いつ、帰ってきても、いいように、私の場所を、とっておいてくれるとのこと、半分、冗談かもしれないけれど、そんな心が、嬉しくて、嬉しくて、ついつい、午後から、みんなと、お仕事したくてしたくて、たまらない衝動に、駆られてしまったけれど、そこは、何とか、抑えて、ばいばい、またねって、かねふくを、あとにしました。
その後、博多駅へ、30分かけて、自転車で、ゴー、8ヶ月ぶりに、一時期、かねふくで、ともに、働いていた、大好きな、お友達、さちよちゃんと、再会しました。どういうわけか、あれだけ、元気を、補給されたはずなのに、このときには、また、徐々に、離人症の症状が、表れていたのです。いつもの、自分が、ふわふわ、浮かんでいて、現実から、離れていくような感覚、だから、さちよちゃんとの再会に、喜びいっぱい、満ち溢れていても、上手く、さちよちゃんの言葉を、聞き取れなかったり、上手く、お話出来なかったりと、なかなか、思うように、感情を、表せないため、コミュニケーションが、とれなくて、内心、さちよちゃんに、不愉快な思いを、させてしまったんじゃないかと、不安で、不安で、たまりませんでした。でも、あとで、きちんと、ありがとうと、ともに、そのときの私の状態を、メールで、告白したら、何と、気にしなくていいよ、私のほうこそ、ありがとうって、お返事が、返ってきて、いつの間にか、安心で、いっぱいになって、さちよちゃん、ますます、大好きって、ぎゅっと、思わず、さちよちゃんの愛しい心を、抱き締めそうに、なりました。
夜になると、どっと、疲れと、ともに、闇が、襲ってきますね。いったい、いつまで、引きずるやら…、神様のみこころは、本当に、計り知れない…、でも、きっと、一時いっときが、幸せのため、そう、確信しながら、何とか、四旬節を、乗り切ることが出来たらと、思います。
神様、もう、やりきれない…、ただ、ただ、涙が、溢れ流れてきます…。
神様、どうか、どうか…。
Il otto febbraio venerdi,le nove e due quarti del pomeriggio,bel tempo qualche volta nuvoloso

Dio,Ti amo!
Poi,Tutti amo!
Grazie,molto tuo amore.
Il piacere e tutto mio!
Buona notte!
Buona fine settimana!