ありがとう、あいする、かみさま

おはようございます。まあなです。
今日も、1日、あいにく、曇り空の中、始まろうと、していますね。世界のみんな、1日、1日、生きることに、お疲れさまです。これからも、いつも、いつまでも、みんなで、頑張っているねって、愛しい心を、抱き締め合うことが、出来たらいいですね。
昨日は、7日間連勤のあとの久しぶりのお休み、相変わらず、引きずったまま、ずっと、苦しみの中、さいなまれていたのだけれど、心と、身体の思うままに、何とか、昨日も、無事に、生きることが出来たことに、感謝します。
毎晩、お決まり、ものすごい苦しみの嵐が、襲ってくるようで、夜中、何度も、目が覚める度に、あのうつ脳による、悪魔の誘惑と、思うような思考に、陥ってしまって、朝まで、ずっと…、だから、昨日の朝、大切な、お友達に、そんな私の感情を、ぶつけたりと、その心を、ずたずたに、傷付けるような、お手紙を、送ってしまいました。苦しみから、逃れて、少しでも、楽に、なりたいという、自分さえ、良ければいい、自己中心的な私、本当に、どこまで、最低最悪な人間なのだろうって、自責の念に、駆られるには、いられませんでした。
それでも、何とか、重い心と、身体を、引きずって、雨の中、30分も、自転車を、こいで、2週間ぶりに、いつもの所属している、箱崎カトリック教会へ、ミサを、授かりに、行きました。どういう訳か、最も、苦しみの中に、あっても、足だけは、教会へ、向かってしまうようですね。きっと、神様のお導きなのかしら…。やはり、教会は、私の本当のお父さま、お母さまである、大好きな神様、マリアさま、そして、その御子、私のご兄弟である、大好きなイエスさまが、おられる、愛いっぱい、満ち溢れた、ふるさとですものね。
昨日は、四旬節に、入る前の最後の日曜日ということで、私の教会では、1年に、1度、ミサの間に、行われる、7つのサクラメントの1つ、いやしの秘跡である、病者の塗油が、授かることが出来ました。いわゆる、目に、見える、神様のお恵みのことですね。病者の塗油、私たちの身体や、心の医者である、イエスさまが、私たちのいろんな苦しみを、ご自分の苦しみのように、分かち合ってくださることで、いやされ、平安に、生きることが出来るように…、私たちのために、祈ってくださることで、聖霊の力によって、与えられる、お恵みです。対象者は、重症や、危篤などの危険な状態など、身体の病を、抱えている人だけではなく、死への不安や、いろんな苦しみや、悲しみによって、人生への絶望感に、陥ってしまっているなど、心の病を、抱えている人、誰でも、授かることが出来ます。私も、もちろん、ちょうど、いい機会ということで、生まれて、初めて、洗礼、堅信、聖体に、続き、4番目の秘跡、病者の塗油を、授からせていただきました。額と、手、十字に、その油が、注がれたとき、何とも、言えない、新鮮な気持ちになりましたね。自分が、嫌で、嫌で、たまらない、古い命を、脱ぎ捨て、新たな命へと、向かっていく喜びなのでしょうか…?最近は、いろんな苦悩に、押しつぶされて、人生への絶望感に、陥っていたけれど、昨日、改めて、神様、イエスさま、マリアさまと、私の心を、さらけ出して、「こんな私ですが、あなたのみこころのままに…」と、向かい合うことで、微笑み、見守ってくださっているようで、自分は、1人じゃない、共に、あるという真実を、思い起こすことが出来たことに、感謝します。
言葉の典礼、福音朗読は、マタイによる福音(5章1節〜12節)、
「心の貧しい人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、
その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである、
その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである。
その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、
その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。」
まるで、今の私の心に、大丈夫だよって、語りかけてくださっているようで、私は、平安のうちに、愛し愛された、自分に、自信を、持って、生きるって、大分、慰められました。
最後は、私の大好きな、あのルルドのマリアさまの美しいメロディーと、共に、感謝と、祈りのうちに、喜びを、持って、幕が下ろされました。

あめのきさき てんのもん
うみのほしと かがやきます
アヴェ アヴェ アヴェ マリア
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

ゆくてしめす あけのほし
みちびきませ みははマリア
アヴェ アヴェ アヴェ マリア
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

かみのみはは わがのぞみ
いまもいつも まもりたまえ
アヴェ アヴェ アヴェ マリア
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

今年の灰の水曜日と、言われる、2月6日から、いよいよ、四旬節、イエスさまの40日間の受難のときに、入ります。どういう訳か…、この日、珍しく、平日の休みで、やはり、神様のお恵みなのでしょうか…?復活という希望のときまで、イエスさまと、心を、合わせて、苦しみを、共に、分かち合いながら、少しでも、平安のうちに、生きることが出来るように…と、何とか、乗り越えていけたらと、思います。
来週の月曜日、1858年2月11日、南フランスのルルド、14歳のベルナデッタの前に、真っ白な服装で、腕に、ロザリオを、下げた、光に、満ちた、聖母マリアさまが、「罪を償うこと、この場所に、聖堂を、建てること」という、メッセージと、共に、ご出現されてから、ちょうど、150年、聖母マリアさまが、ベルナデッタに、掘らせた泉が、人々の病を、いやすことから、始まって、今も、なお、世界中から、たくさん、ベルナデッタへの取り次ぎによって、いやされますように…と、ルルドの地を、訪れています。
私も、いつの日か、遥かな夢のような、ルルドで、出来れば、隣に、大好きな人と、ベルナデッタへの取り次ぎによって、世界中の人たちと、共に、心を、1つにして、手を繋いで、1人でも、たくさんの人が、いやされ、愛に、満ち溢れながら、平和のために、幸せな笑顔で、生きていくことが出来るように…、祈りを、捧げることが出来たらと、思います。
そんな喜びのときを、楽しみに、希望ある明日のために、これからも、いろいろ、あると、思うけれど、1日、1日、大切に、生きていけたらと、思います。
ありがとう、あいする、かみさま、
今日も、1日、よろしくお願いします。
Il quattro febbrario lunedi,le otto del mattino,nuvoloso qualche volta pioggia
Buon giorno!
Grazie caro dio!
Ringrazio oggi!