つらさを経て、キリスト教へ…

こんばんは。まあなです。
今日で、新しい仕事、10日目、最も、苦しみのうちにあっても、働かせていただいているという感謝の気持ちを、持ちながら、きちんと、仕事に、取り組みたいと、思っていながらも、心は、全然、別世界…、だから、支障が、出るばかりで、なかなか、思うように、いかず、全然、役に、立たないどこかか、ただの足手まといとしか、思わざるをえない私が、います。それなのに、どうして、周りの人たちは、こんな、どうしてもない私のこと、親身にしてくださるのだろうって、不思議に、思って、仕方がありません。私は、そんな人たちに、対して、何も、出来ない…、いや、それどころか、今、そんな心たちを、踏みにじろうとしている自分、何て、なんて、薄情ものなんだって、思ってしまいます。
最近は、四六時中、後悔の念が、次から、次々と、押し寄せてきます。あのとき、あんなことさえ、しなければ…ばっかり、そして、物心ついたときからの記憶から、苦しみが、どっと、溢れ流れてきて、それらが、ぐるぐる、駆け巡って、さらに、苦しみに、打ちひしがれています。ずっと、それらが、表面化しないように、いつも、神様を、信じて、全てのとき、全ての思いが、よいように、繋がるという、そんな真実を、見いだすことが出来た私は、幸いな人だという確信を、持ち続けていたかったのに、きっと、私の知らないうちに、気付かないうちに、私のどこかで、徐々に、いろんな苦しみによって、生きづらさという芽が、育っていたのでしょうね。何かのきっかけで、その芽が、出てしまったということなのでしょうか…?最近のつらさが、きっかけ…、いや、このつらさがなかったとしても、いずれ、何らかのきっかけによって、その芽が出ることになるのでしょうね…。
科学技術が、進歩している、この世の中、出来れば、タイムスリップがあってほしいと、強く、願う。時間を、戻してほしい…。私が、生まれる前に…。いや、せめて、1年前でも、いい。あれだけ、よく、していただいたにも、関わらず…、自分が、勝手に、勘違いして、勝手に、苦しんでしまって、何もかも、全て、自分が悪いはずなのに…、
私の記憶から、あなたという存在を…、あなたとの時間を…、そして、あなたの記憶からも、私という存在を…、私との時間を…、まるで、最初から、私が、存在しなかったかのように…、まるで、最初から、私との時間が、なかったかのように…、完全に、抹殺してほしいと、強く、願う。いっそう、このまま、離人症が、酷くなって、訳分からなくなってしまったら、どんなに、良かろうか…、それとも、徹底的に、嫌ってくれたらと、思う。あんな、ばかおんなって、さらっと、流してくれたら…、私としては、そっちのほうが、ずっと、気持ちが、楽だから…。
気が付けば、もう、10年、死を、覚悟したときから…、あのときは、毎日のように、何十枚も、遺書を、書き綴って、いらずには、いられなかった…、なら、さっさと、死ねばよかったのにって、思ってしまいますね。ちょうど、父親が亡くなったときでもあって…、その3年後、父親の死を、知ることになるのだけれど、しかも、多額な借金返済の通知が、きっかけで…、せめて、あなたが、亡くなるまでに、私という存在を、認め、受け入れてもらいたかった…、でも、どんなに、願っても、決して、その願いが、叶うことはない…、どういうわけか、私には、全く、父親の記憶がないのです。3歳のとき、私の自閉症が、原因で、両親が、不仲になって、真面目な父親が、私が、自閉症であるという事実から、逃れるために、博打、借金、暴力、浮気…、決して、良くない方向へ、母は、そんな父親に、耐えられなくなって、最終的には、離婚という形を、取らざるをえなかったのです。その後、母の苦労と言ったら、並々ならぬものであった…、自分の年金の納付の免除を、してまで、自閉症の私と、乳飲み子の妹を、抱えながら、仕事、家事に、追いまくられ、挙げ句の果てに、疲れすぎていたのでしょうか…、交通事故に遭ってしまって、足に、障害を、抱えることになったのです。その後も、母は、なりふり構わず、働き続け、さらに、持病が、悪化してしまって…、親子3人、食べるのが、やっとのぎりぎりの生活、それでも、誰1人、そんな母を、助けようともしなかった、だから、母自体、いっぱい、いっぱいで、心に、余裕がなかったと、思います。そんな母のはけ口は、いつも、私だった、ヒステリック的に、どんどん、あれやこれやと、投げつけられながら、「あんたさえ、いなかったら」、「あんたさえ、生まなければ」と、母にとって、何気ないつもりだったかもしれないけれど、あまりにも、幼すぎた、私には、その言葉は、受け入れ難いものであった…、ときには、耐えきれなくなって、家出の常習犯と、言われるぐらい、家出ばっかり、一晩中、公園で、寒さの中、怯えながら、過ごしていたことも、ありました。私が、もっと、大きくて、分からず屋じゃなかったら、どんな母でも、受け入れることが出来ただろうに…、相変わらず、出来損ないで、ごめんなさい。それでも、せめて、私は、母の負担を、軽くしようと、未熟なりに、勉強、家事…など、頑張れるだけ、頑張って、出来るだけ、わがままを、言わないように、「いい子」で、いようと、必死でした。中学生のとき、母の期待に、応えようと、思って、私にとって、死ぬ気で、勉強することが、全てだった、100点さえ、取れば、母は、すごく、喜んでくれたけれど、ちょっとでも、成績が下がれば、鬼のように、怖かった、だから、頑張ったのかもしれません。でも、結局、いい子じゃなかった私は、そんな母の期待に、応えきれず、高校受験前、ノイローゼになってしまって、受験失敗…、かろうじて、入学した、高校1年生のとき、ただ、ただ、失望感だけの毎日でした。でも、その1年後、そんな私にも、転機が…、初恋の人と、出会ってから、私の人生に、希望の光が、照らされるようになったのです。その2年半後、愛を、誓い合って、結婚、でも、私の歪んだ価値観が、その愛を、引き裂いてしまった…そして、その3年後、離婚。それから、また、絶望のうちに、心身症うつ病に、かかり、その2年後、また、懲りずに、2度目の恋、それは、お互いが、近付けば、近付くほど、傷付け合ってしまう、あまりにも、切なく、悲しすぎる恋でした…。
最近になって、分かりすぎるぐらい、分かってしまった、愛されることよりも、愛することのほうが、遙かに、つらいっていうことを…。
数日前、母が、言っていた、「自分は、一度も、幸せだと、思ったことはない。」という言葉を、思い出してしまいました。母は、かわいそうすぎるぐらい、かわいそうな人…、どういうわけか、そんな母と、私の手相が、似すぎるぐらい、似ていて、はっきりした、不幸の線があるらしいのです。それでも、私は、そんなこと、何が何でも、認めなくなかった、母の人生の二の前にはなりたくなかった…と、母の人生、そして、いろんな人たちの人生を、めちゃくちゃにしてしまった、お荷物な私、さらさら、生きる価値なんてないのだけれど、いかなる、環境や、状況に、置かれていても、心の持ちよう次第で、幸せを、見出すことが出来るという真実を、キリスト教を、通して、理解出来た私、きっと、この上ない、幸せな女の子、もう、私には、キリスト教しかないと、思いました。
そう、私のひいおばあちゃんのように…、あまりにも、理不尽なことが、多すぎた、世の中、ひいおばあちゃんの人生を、思う度に、憤りと、無念さで、いっぱいに、なってしまうけれど、きっと、ひいおばあちゃんが、こんな私を、ここまで、導いてくれたのでしょうね。
いろいろ、苦しかったけれど、いろいろ、悲しかったけれど、いろいろ、つらかったけれど…、
ひいおばあちゃん、本当に、ありがとう…。