mio preghiare

こんばんは(Buona sera)。まあなです(Sono maana)。今日(oggi)も、1日(un giorno)、心(cuore)の具合(condizioni fisiche)が、ままならないまま、何とか、頑張(sforzarsi)り抜(togliere)きました。日曜日(domenica)を、挟(mettere)んで、ここ(qua)、2、3日(qualche giorno)、割りかしら、体調(condizioni fisiche)が、良(bene)て、すがすがしい(fresco)気持ち(sensazione)だったけれど、今日(oggi)、1日(un giorno)、出勤(andare a ufficio)しただけで、一気に(d'un fiato)、ダウン(cadere)してしまいました。あの(quello)夏(estate)、倒れ(cadere)たとき(tempo)までは、どんな(che)に、頑張(sforzarsi)っても、頑張(sforzarsi)り足りない(mancare)ぐらいだったけれど、この(questo)3ヶ月(tre mese)、定期的(regolare)に、離人症と、思(temere)われる症状(sintomo)が、表れ(apparire)、なかなか(abbastanza)、思う(supporre)ように、な(trasformarsi)らない自分(se stessa)が、とても(molto)、歯がゆいです。何とか、昔(passato)のように、エネルギッシュ(energico)に、な(trasformarsi)れたら、いい(bene)のだけれど…、これ(questo)ばっかりは、神様(dio)に、お任せ(affidare)しなければいけませんね。これから(d'ora in poi)、何(cosa)が、待(asppettare)ち受けているか、全く(completamente)、未知(sconosciuto)なる人生(vita)、神様(dio)のみ心(cuore)のままにと、祈り(preghiare)と、感謝(ringrazione)の気持ち(sensazione)を、大切(importante)にして、生き(vivere)ていくことが、出来(potere)たらと、思(pensare)います。
周り(circonferenza)を、見渡(guardare)せ、秋(autunno)真っ只中(interno)って、思う(supporre)ぐらいの風景(panorama)が、広が(prendersi)っていますね。山(monte)々の紅葉(arrossamento)、落ち葉(foglie morte)、きんもくせいの香り(profumo)、小鳥たち(uccellini)のさえずり、さわやかな風(vento)…、今(ora)ならではの行事(cerimonia pubblica)の一つ(uno)、七五三と、思(supporre)われる、子供たち(bambini)の可愛(carino)らしい、晴れ(bel tempo)姿(figura)と、生きとし、生ける全て(tutto)のもの(essere vivente)の命(cuore)から、神様(dio)の豊かな(ricco)お恵み(dono)を、味わう(gustare)ことが出来る(potere)ようで、とても(molto)、和やかな(placido)気持ち(sensazione)に、な(trasformarsi)りますね。
11月23日(Il ventitre novembre)、午前10時(le dieci del mattina)から、箱崎カトリック(cattoricesimo)教会(chiesa)の創立(fondazione)50周年(quaranta anniversario)記念(commemorazione)式典(cerimonia)が、行(avere)われます。この(questo)聖年(anno sanno)に、受洗(bettesimo)出来(potere)たことに、感謝(ringraziare)しながら、神様(dio)の愛(amore)と、共に(insieme)、一人一人(uno)の信仰(fede)の灯火(fuoco)が、大きな(grande)かがり火(fuoco)に、なる(trasformarsi)ように、心(cuore)を、一つ(uno)にして、祈(pregare)り、学(imparare)び、支え(appoggiare)合(andare d'accordo con)いながら、生き(vivere)てきた、箱崎カトリック(cattoricesimo)教会での50年間(quaranta anni)の歴史(storia)を、未来(futuro)へ、受け継(ereditare)いでいくことが、出来る(potere)ように…、そして(poi)、ルルドのマリアさまを、誉め讃え(lodare)た歌(canzone)、「あめのきさき」が、たくさん(tanto)の人(persone)の心(cuore)に、響(suonare)き、一人(uno)でも、多く(tanto)の人(persone)が、神様(dio)の満(riempire)ち溢れる(trabboccare)愛(amore)を、受け取(ricevere)って、自信(fiducia)と、希望(speranza)と、持(tenere)って、生き(vivere)ていくことが、出来る(potere)ように、祈り(preghiare)を、捧げ(offrire)たいと、思(pensare)います。
ちょうど(giuto)、その(quello)日(giorno、福岡教区の中心(centro)、大名町カトリック(cattoricesimo)教会(chiesa)で、出会(incontrare)いの集い(riunione)(10時(le dieci) 〜16時(le sedici))が、行(avere)われます。対象(oggetto)者(persone)は、出会(incontrare)いを、求める(chiedere)、カトリック(cattoricesimo)の信者(credente)、または(o)、求道者の男女(uomo e donna)です。当初(primo)は、全く(completamente)、参加(partecipare)しようと、思(pensare)いも、しなかったけれど、私の(mia)人生(vita)を、思(pensare)ってゆえか、周り(circonferenza)の人たち(persone)に、あまりにも(troppo)、勧め(consigliare)られるもので、自分自身(se stessa)も、「愛しい(amore)人(uomo)」のことは、大分(molto)、整理が、付(mettere in ordine)いたつもりだし、そこまで、意気地(ostinazione)になる必要(nacessita)がないと、よくよく(bene)、悩(soffrire per)み、考え(persone)た結果(fine)、参加する(partecipare)ようになりました。昔(passato)から、母子(madore e bambine)家庭(famiglia)で、男(uomo)の人(persone)との関わ(riguardare)りが、ほとんど(quasi)、なかったせいか…、未だ(ancora)に、男(uomo)の人(persone)と、普通(solito)に、会話(conversazione)することが、出来(potere)ません。心(cuore)のどこかで(da qualche parte)、男(uomo)の人(persone)に、対する、偏見(pregiudizio)が、何か(qualcosa)しら、抱え(tenere in braccio)ていると、思う(supporre)ので、今回(questa volta)、いい(bene)機会(occasione)に、真剣(serio)に、いろんな(vario)男(uomo)の人(persone)と、向(voltarsi)き合(vedere)ってみようと、思(persone)います。(二またとか、かけたりしませんよ(>人<))
今夜(stasera)も、「デオ・グラツィアス」と、優しい(gentile)夢(sogno)の時間(tempo)を、過ごす(passare)ことが、出来(potere)ますように…(^-^)
フルリーナさんへ
いつも、私の気持ちを、思いやってくださって、ありがとうございます。そんなフルリーナさんの暖かい存在が、私が、私らしく、生きる支えになっています。
私たち、何だか、共通点が、多いようですね。似たもの同士とまで、言ったら、フルリーナさんに、失礼かも(^_^;)
こんな私でも、きっと、神様のお望み通り、造られて、愛し、愛される、かけがえのない存在なのでしょうね。こんな私だけれど、受け入れて、そして、また、周りの人たち、1人ひとり、お互い、どんなところも、受け入れて、愛し合って、共に、生きる喜びを、感じることが、出来たらと、思います。
これからも、共に、神様の愛の息吹きに、吹かれながら、時の流れのままで、ゆっくり、のんびり、生きていけたら、いいですね。
フルリーナさん、どうぞ、よろしくお願いしますね。
Il tredici novembre martedi,le undici e tre quarti del pomeriggio,bel tempo qualche volta nuvoloso
Buona giornata!