Tutto bene?

こんばんは(Buona sera)。まあなです(Sono maana)。世界(mondo)中(interno)の皆さん(tutti)に、お疲れさまです(Buon riposo)。今日(oggi)も、また(ancola)、「離人症」の症状(sintomo)が、表れ(apparire)、視野(campo visivo)が、ぼや(brontolare)けたりするので、ちゃんと(a posto)、し(fare)ようと、神経(nervo)を、張(tendere)り詰め(riempire)ていたため、きつ(stancarsi)かったけれど、1日(un giorno)、何とか、自分(se stessa)なりに、精一杯、生きる(vivere)ことが出来(potere)たことに、感謝(ringraziare)します。
早い(presto)ものの、11月(novembre)、霜月になりましたね。いよいよ(finalmente)、秋(autunno)まっしぐら(diritto)、これから(d'ora in poi)、きっと(senz'altro)、たくさん(tutto)の自然(natura)たちが、色(colore)づ(attacarsi)かせたりと、賑わ(essere movimentato)いを、見せる(far vedere)のでしょうね。いろんな(vario)秋(autunno)に、触れ(toccare)て、味わ(gustare)って、感動(ringraziare)し、改めて(di nuovo)、生き(vivere)て、生か(fare buon uso di)されているへの喜び(gioia)を、実感する(rendersi conto di)ことが出来(potere)たらと、思(pensare)います。
何だか、また(ancola)、どういう訳か(perche)…、涙(lacrima)が、溢れ(trabboccare)出(tirare fuori)てきました。こんな(cosi)にも、こんな(cosi)にも、もったいないぐらい、神様(dio)の愛(amore)を、いただ(ricevere)いて、幸せ(felicita)すぎる(passarre)ぐらい、幸せ(felicita)なはずなのに、どうして(perche)なのでしょうか…?それでも(ma)、私の(mio)目(occhio)から、次々(uno dopo l'altro)と、大(grande)粒(granello)の涙(lacrima)が、ぼろぼろ、こぼれ(versarsi)出(tirare fuori)てくるのです。涙(lacrima)は、ある意味(significo)、心(cuore)の浄化作用になって、いい(bene)かもしれないけれど…、それにしても、気が付(riprendere i sensi)けば、しょっちゅう(sempre)、泣(piangere)いてばかりいる、泣(piangere)き虫(insetto)の私(io)には、困(trovarsi in difficolta)っちゃいますね…。
もし(se)かして、私(io)は、「孤独(solitudine)」なのかもしれません。今週(questa settimana)の日曜日(domenica)のミサ(messa)に、授かったとき(tempo)に、いただ(ricevere)いた、カトリック(cattoricesimo)良(bello)き牧者の会(riunione)が、出版(pubblicare)している、「信頼(fiducia)の叫(gridare)び」という小冊子、高見三明大司教(vescovo)さま、作家(scrittore)の曽我綾子さんなど(e cosi via)、いろんな(vario)分野(campo)で、活躍されている方々の、「孤独(solitudine)」について、記載されてあるものを、心(cuore)を、落ち着(calmarsi)かせて、黙そうしているうち(interno)に、まるで(come se)、私の(mio)心(cuore)に、話(dire)しかけられているようで、共感(simpatia)させられるところ(posto)が、たくさん(tanto)、あ(avere)りました。「孤独(solitudine)」についての価値(valore)観、それぞれ(rispettivamente)、多少(poco)、相違(essere diverso da)するかもしれないけれど、根本的なところ(posto)は、同じ(stesso)なのかなって、思(supporre)いました。
誰も(ognuno)が、人生(vita)、生き(vivere)ているうちに、何度(ogni volta)か、孤独(solitudine)に、陥る(cadere in)ことがありますね。そんな(tale)とき(tempo)、本当に(veramente)、死ぬ(morire)ほど、つら(duro)くて、つら(duro)くて、何も(niente)、見(vedere)えなくなって、もう(gia)、いや(non piacere a)!って、嘆(piangere)きたくなるかもしれないけれど、そんな(tale)「孤独(solitudine)」の時間(tempo)がある(avere)からこそ、気付(riprendere i sensi)かされる、大切な(importante)ことって、たくさん(tanto)、あ(avere)りますね。その(quello)事実(realta)を、いろんな(vario)著者(autore)の方々が、述べ(dire)られています。孤独(solitudine)を感じ(sentire)ているとき(tempo)、自分(se stessa)は、誰(chi)からも、必要(necessita)とされない、自分(se stessa)は、一人(uno)なのだと、絶望的(disperato)になり、ようやく(finalmente)、相手(compagno)の存在(esistenza)が、いかに、ありがたい(grato)か、気付(riprendere i sensi)き、何か(qualcosa)、大きな(grande)もの(cosa)を、求め(chiedere)たり、すがりつきたくなったりして…、最終的(fine)には、神様(dio)へと、辿り着く(arrivare)というわけ(ragione)です。そう、神様(dio)のご存在(esistanza)を、気付(riprendere i sensi)き、神様(dio)の愛(amore)を、確信する(convincersi di)ために、そして(poi)、改めて(di nuovo)、自分自身(se stessa)と、向(voltarsi)き合(vedere)って、より良い(migliore)、生き方(modo di vivere)を、模索(cercare)して、新たな(nuovo)人生(vita)のスタート(partenza)ライン(linea)を、切る(tagliare)ために、孤独(solitudine)は、神様(dio)から、与え(dare)られた、人生(vita)の重要な(importante)チェック(controllo)ポイント(punto)で、最も(il piu)、大切な(importante)プレゼント(regalo)なのです。今(ora)、孤独(solitudine)を、感じ(sentire)ている、人たち(persone)、その(quello)つらい(duro)心(cuore)は、よく(bene)、分かる(capire)けれど、どうか(pregare)、自分(se stessa)は、一人(uno)ではない、神様(dio)と、共に(insieme)、生か(fare buon uso di)されているという真実(verita)を、そして(poi)、自分(se stessa)は、自分(se stessa)だという自信(fiducia)を、心(cuore)に、持(avere)たれてくださいね。
そう言(dire)えば、今日(oggi)も、周り(circonferenza)の人たち(persone)に、ちらっと(poco)、そんな(tale)私の(mio)心(cuore)を、打ち明け(confidare)てみれば、「そんなら(allora)、彼氏(lui)、つくれば」という応答(risposta)や、合コンの誘い(invito)とか…、でも(ma)、まあ、それ(quello)も、一理あるかもしれないけれど、そんな(tale)孤独(solitudine)を、紛らわすためだけに、彼氏(lui)を、つくるなんて、私の(mia)ポリシー(politica)に、合(andare d'accordo con)わないです。母(mamma)にまで、同じ(stesso)ようなこと(evento)を、言(dire)われ、この(questo)年(anno)になって、おとこ(uomo)の気配(aria)みたいな?のがないのに、焦(essere impaziente)りを、感じ(sentire)ているのでしょうか…?もうすぐ、福岡の中心(centro)、大名町カトリック(cattoricesimo)教会(chiesa)で、出会(incontrare)いの集い(riunione)、カトリック(cattoricesimo)の求道者で、結婚(matrimonio)前提(premessa)の男女(uomo e donna)対象(oggetto))が、行(avere)われるとのこと、母(mamma)に、うるさい(esigente)ぐらい、それ(quello)を、勧め(consigliare)られます。私(io)は、誰(chi)に、何(cosa)と、言(dire)われようと、当然(naturalmente)ながら、愛しい(amore)人(uomo)が、心(cuore)にいる(essere)限り、無理(impossibile)だし、いつ(quando)、どんな(che)とき(tempo)も、「自然(natura)のまま」を、大切(importante)にしたいのです。相変わらず(come al solito)、意地っ張り(ostinarsi a)で、ごめんなさい(squsi)。
今夜(stasera)は、フルリーナさん、petite loupさん、私の(mioi)3人(tre)お揃(raccogliere)いのロザリオを、手(mano)に、そっと(in silenzio)、握(afferrare)って、「デオグラツィアス」と、安らかな(quieto)気持ち(sensazione)で、眠りに、就く(andare a letto)ことが出来(potere)ますように…(^-^)
Il tre novembre sabato,le undici del pomeriggio,bel tempo
Tutto bene?