Boune vacanze!

こんばんは(Buona sera)。まあなです(Sono maana)。この(questo)熱帯夜(notte tropicare)、いかが(come)お過ご(passare)しでしょうか…?今夜(stasera)も、暑苦し(afozo)くて、なかなか(abbastanza)、眠りに、就けそうではありません(Non posso andare a letto) 。今日(oggi)も、連日(giorni consecutivi)のような猛暑(caldo feroce)、身体(corpo)中(interno)が、生温い(tiepido)、得体の知れ(sapere)ないものに、蝕まれるようで、死ぬ(morire)ほど、つら(duro)かったですね。日(sole)が下り(scendere)て、いつまで(per sempre)、経っ(passare)ても、暑さ(caldo)が、残っ(rimanere)たままで、心身(cuore e corpo)ともに、なかなか(abbastanza)、疲れ(duro)が、とれ(venire via)なくて、とても(molto)、だるい(sentirsi fiacco)です。健康(salute)のためにと、うそ(bugia)か、本当(verita)か、分か(capire)らないけれど、長年(per molti anni)の経験(esperienza)から、基づ(venire)いて、自然(natura)のままに、発汗(sudore)させることが、大切(importante)だと、思っ(supporre)て、長年(per molti anni)、クーラー(condizionatore)を、付け(attaccare)ない主義(principio)だったけれど、体調(condizioni fisiche)不良の上に、この猛暑(caldo feroce)、もう(gia)我慢(pazienza)の限界(limite)ですね。このままだと、体力(forza fisica)が、消耗し(consumare)て、ダウンしてしまいます。とは言っ(dire)ても、どうしようもないので、こんな時(come questo tempo)は、出来る(potere)だけ、定期的(regolare)に、涼しい(fresco)ところ(posto)で、冷たい(freddo)飲み物(bevanda)、アイス(ghiaccio)ノンなどで、火照っ(sentirsi caldo)た身体(corpo)を、癒やす(sanare)など(e cosi via)自分(se stessa)なりに、いろいろ(vario)と、暑さ(caldo)対策(provvedimento)を、思考(supporre)していけたらと、思(supporre)います。
私(io)自身(se stessa)、環境の(ambientare)変化(cambiamento)に、上手く(bene)、適応(adattarsi)出来(potere)なくて、めんど(fastidioso)くさがり屋、いわゆる、現在(presente)っ子(bambina)の典型的な(tipico)性格(carattere)、いつも(sempre)、暑さ(caldo)、寒さ(freddo)も、きつさ(duro)も、自分(se stessa)にとって、嫌な(sgradevole)こと(evento)は、出来る(potere)だけ、避け(evitare)ようとして、ついつい、楽な(facile)方へ、逃げ(fuggire)てしまいます。このままではいけないと、思(supporre)いきや、なかなか(abbastanza)、思う(supporre)ように、いきません。最近(di recente)は、贅沢(lusso)になり過ぎて、ありがたみ(grato)が、なくなっ(scomparire)てきたのでしょうか…?周り(circonferenza)を、見渡せ(guardarsi intorno)ば、埋め(seppellire)尽く(dedicarsi)された、電化製品(elettrodomestici)や、豊富な(ricco)食べ物(cibo)と、飲み物(bevanda)など(e cosi via)、生き(vivere)ていくために、必要な(necessario)もの(cosa)が、十分(sufficiente)、揃っ(raccogliere)ているはずなのに、不平(lagnanza)不満(malcontento)が多く(tanto)、自分(se stessa)に、ない(non avere)もの(cosa)ねだ(persuadere)り、あれ(quello)も、これ(questo)も、求め(volere)がちになってしまっています。人間的(essere umano)に、小さい(piccoro)のでしょうか…?
ここ(qui)は、改めて(di nuovo)、自分自身(se stessa)と、向き(direzione)合って、過去(passato)を、反省(riflettere)して、これから(d'ora in poi)、どうするべきか、模索して、本当に(veramente)、大切な(importante)もの(cosa)を、見失っ(perdere di vista)てしまう前に(prima)、勇気(coraggio)を持って(avere)、踏み(calpestare)出す(tirare)、新たな(nuovo)一歩(un passo)が、大切(importante)ですね。直ぐ(subito)には、なかなか(abbastanza)、難しい(difficile)かもしれないけれど、この(questo)日本(giapponese)カトリック(cattolicesimo)平和(pace)旬間(periodo)を、きっかけ(occasione)に、戦争(guerra)の犠牲者(vittima)となられた方を、思い返し(ricordare)てみて、今(ora)、こうやって、あらゆる(tutto)時(tempo)を、乗り越えて(passare)、生か(fare buon uso di)されていることへのありがたみ(grato)を、思い起こす(ricordare)ことが出来(potere)たらいいですね。
夏(estate)は、暑く(caldo)て、つらい(duro)と、思う(supporre)のでは、ただ(solo)時間(tempo)が、過ぎ(passare)ていくだけで、人生(vita)が、もったいないので、夏(estate)には、夏(estate)にしか、楽し(divertirsi)めない、夏(estate)ならではの楽しみ(piacere)を、見出して、この夏(questo estate)、ただ(solo)、だらだら、過ごす(passare)だけではなく、1日(un giorno)1日、意味(significare)を持(avere)って、生き(vivere)ていって、少し(un poco)でも、有意義な(significativo)夏(estate)を、過ごす(passare)ことが出来(potere)たらと、思います(suppore)。
神様(dio)、イエスさま(Cristo)、マリアさま(Maria)、どうか、私(io)が、この(questo)猛暑(caldo feroce)の中(interno)でも、自分(se stessa)らしく、健やか(salute)に、「デオ・グラツィアス」と、生き(vivere)ていくことが出来る(potere)ように、お守り(difendere)くださいね。

フルリーナさんへ
フルリーナさん、ありがとうございます。最近は、更新が、思うようにいかなくて、ごめんなさい。でも、こうやって、思い出を、共有することが出来る、フルリーナさんの存在に、心から、ありがとうと、いっぱい、伝えたいです。これからも、神様の愛を通して、共に、お互いの存在を、支え合って、生きていくことが出来たらいいですね。
イタリアの旅行記、少しずつだけど、綴らせてくださいね。イタリアで、見て、触れて、感動した、いろんな思い出を、振り返りながら、言葉で、綴る、素晴らしさって、ありますね。いつまでも、思い出を、より、深く、大きいものに、そして、何よりも、それが、自分自身の命の糧となるようにと、思います。フルリーナさんの旅行記、本当に、素晴らしいですね。いつも、拝見させていただいて、まるで、自分のことのように、フルリーナさんの思い出を、楽しむことが出来て、充実した時間を、過ごすことが出来ます。これからも、より、多くの人と、いろいろ思い出を、共有して、大きく、大きく、心の輪を、広げていき、みんなで、手を、取り合って、生きていくこと、これが、何よりも、私の願いです。フルリーナさん、これからも、まだまだ、猛暑が、続くと、思うので、くれぐれも、無理のないように、自分のペースで、過ごされてくださいね。共に、この猛暑を、乗り越えていきましょうね。それでは、arrivederci!