molto rieto

こんばんは(Bouna sera.)。まあなです(Sono maana.)。もう(gia)、そろそろ、梅雨(stagione piovosa)明けでしょうか…?ここのところ(in questi giorni)、ずっと、いい天気(bel tempo)が、続いて(continuare)いますね。緑(verde)、花(fiore)、生き物(essere vivente)…など(e cosi via)、自然(natura)のあらゆる(tutto)命(vita)が、一年間(un anno)で、最も(il piu)、太陽の光(solare luce)に、眩い(abbagliante)ぐらいに、照ら(splendere)されて、生き生き(vivacemente)する頃かもしれません。これから(d'ora in poi)、次第に(man mano)、日射が、強く(forte)なり、暑く(caldo)なると、思う(supporre)ので、水分(acqua)補給をし(rifornire)たり、日焼け(abbronzarsi)対策(provvedimento)として、帽子(cappello)を、被っ(mettersi)たりと、バテないように、体調(condizioni fisiche)管理(controllo)を、しっかり、していきましょうね。
今日も、お疲れさまです。(Buon riposo)1日(un giorno)、自分(se stessa)なりに、自分らしく、精一杯、頑張って(sforzarsi)、生き(vivere)ました。今夜(stasera)は、そんな(tale)自分(se stessa)に、「頑張ったね。」と、褒めて(lodare)あげながら、ソファー(divano)に、横たわって(distendersi)、イタリア語(italiano)のCDを、聴い(ascoltare)たり、イタリアの風景(panorama)写真(fotografia)を、眺め(guardare)たりして、(相変わらず(come al solito)、イタリア一色だけれど…)、疲れた(stancarto)心身(cuore e corpo)に、潤いを、与えて(dare)、ゆっくり(lentamente)、過ご(passare)そうと、思い(supporre)ます。
今(ora)、私は、心(cuore)の底(fondo)から、幸せ(felice)だと、思って(supporre)います。最近(di recente)は、比較的(relativamente)、順調で、とりわけ、大きな(grande)出来事(evento)がなく、日々、取り留めなく(incoerente)、平凡な(comune)生活(vita)を、送って(passare)いるけれど、先日(l'altro giorno)、「世界(mondo)で、もし(se)、百人(cent persone)の村(villaggio)だったら」という、有名な(famoso)番組(programma)で、貧困(poverta)や、戦争(guerra)、病気(malattia)…など(e cosi via)、苦しみ(sofferenza)に、打ち(commuovere)ひしがれている、子供たち(bambini)を、観て(vedere)、自分が、いかに、恵まれ(dono)ているか、思い知ら(accorgersi)されたからかもしれません。日頃は、当たり前のように、生活し(vivere)ていて、なかなか(abbastanza)、気付(notare)かないと、思う(supporre)けれど、ちょっと、立ち止まって(fermarsi)、自分(se)自身(mestessa)のことを、振り返って(voltarsi)みれば、次(prossimo)から、次々(uno dopo l'altro)と、反省(riflettere)点(punto)が、思い浮かん(venire in mente a)でしまいます。電気(elettricita)のつけ(accendere)っぱなし、水道(acquedotto)の使い(usare)すぎ、ご飯(riso bollito)の食べ(mangiare)残し(lasciare)、頻繁に(frequentemente)、物(cosa)のポイ捨て(buttare via)…など(e cosi via)、上げ(alzare)ていけば、きりがないですね。世界(mondo)中の多くの(tanto)貧しい(povero)子供たち(bambini)のことを、思(supporre)えば、改めて(di nuovo)、無駄(inutile)遣いは、禁物(proibizione)、もっと(molto)、物(cosa)を大切(importante)にしたり、節約し(risparmiare)たりしなければいけないと、気付(notare)かされました。これから(d'ora in poi)は、過去(passato)を、反省し(riflettere)て、未来(futuro)へ、向か(stare di fronte a)って、自分が、生まれ(nascere)て、生か(fare buon uso di)されていることに、感謝(ringraziamento)しながら、周り(circonferenza)の人たちへの思いやり(premura)の気持ち(sentimento)、世界(mondo)の人たちへの平和(pace)を願う(sperare)気持ち(sentimento)を、持っ(tenere in mano)て、精一杯、自分の人生(vita)を、生き(vivere)ていこうと、思い(supporre)ます。
仕事(lavoro)のほうは、まあまあ、ぼちぼちです。今(ora)、お中元の時期(periodo)限定(determinazione)、6月(giugno)の下旬(l'ultima decade del mese)から、産地(paese produttore)直送の仕事(lavoro)をしています(多分(forse)、8月10日(dieci agosto)まで(per)だと、思い(supporre)ます。)メンバー(membro)は、昨年(l'anno sucorso)の夏(estate)(お中元)と、冬(inverno)(お歳暮)の時と、同じく(stesso)、6人(sei persone)で、みんな(tutto)、気さく(simpatico)で、とても(molto)、いい人(gentile)です。お客様(cliente)の元に、届く(arrivare)、最終(fine)段階(grado)の仕事(lavoro)で、責任(responsabilita)重大(grave)で、随時(sempre)、緊張(tensione)感を持っ(tenere in mano)て、励ま(incoraggiare)なければいけないので、とても(molto)、大変だけれど、その中(interno)で、メンバー(membro)の人たち(persone)と、目標(fine)に、向け(dirigere)て、共に(insieme)、力(forza)を合わせ(mettere insieme)て、支え(appoggiare)合いながら、頑張っ(sforzarsi)ていくことは、やりがいがあっ(valere la pena)て、素晴らしい(magnifico)ことかもしれません。もうすぐ(fra poco)、就職(trovare il posto)活動(attivita)を、始める(cominciare)ので、今の職場(ufficio)には、あと、少し(poco)の期間(periodo)しか、居(essere)れないと、思う(supporre)けれど、これから(d'ora in poi)も、自分に、与え(dare)られた、やる(fare)べきことは、責任(responsabilita)を、持っ(tenere in mano)て、誠実(sincero)に、精一杯、頑張(sforzarsi)ろうと、思い(supporre)ます。
1ヶ月前(un mese fa)の今頃は、愛しい(amore)、フィレンツェの地(terra)で、素敵な(bello)時を、過ご(passare)していましたね。何だか、遥か(molto)昔(passato)の夢(sogno)のことのようで、懐かしい(caro)気持ち(sentimento)で、います。
6月19日(diciannove giugno)(福岡大空襲(incursione aerea)、62周年)、あの時(a(quei tenpi)は、フィレンツェの郊外(periferia)、インチーサのイ・チリエジホテル(albergo)から、バス(autobus)で、約(circa)30分(trenta minuti)、まずは(dapprima)、ミケランジェロ広場(piazza)の地(terra)に、足(piede)を、踏み(calpestare)入れ(entrare)て、ミケランジェロ広場(piazza)から、眺める(guardare)、フィレンツェのあまりにも(troppo)、美しい(bello)風景(panorama)に、ただ(solo)、ただ、圧倒(sopraffare)されるばかりでした。ルネッサンスの花(fiore)開い(aprire)た街(citta)、統一し(unire)た、オレンジ色の(arancione)屋根(tetto)たちが、まるで(come sei)、ドゥオモ(Duomo)という、輪郭(profilo)を、中心(centro)に、一片の花びら(petalo)のようで、今にも、天使(angelo)が、微笑ん(sorriso)で、舞い降りる(scendere)ようで、愛しさ(amore)で、心(cuore)が、満ち(riempire)溢れ(traboccare)ました。次に(prossimo)、ウィッツィ美術館(museo d'arte)、私の大好きな(favorito)画家(pittore)、ラファエロレオナルド・ダ・ヴィンチ、フィリッポ・リッピ…など(e cosi via)、約(circa)500年前(cinquecent anni fa) に、多く(tanto)の画家(pittore)たちが、人(persona)としての尊厳、自由(livelo)を、求め(chiedere)て、希望(speranza)を、託して、描(discrivere)かれた絵(quadro)たち、それらの世界(mondo)に、引き込まれそうで、何だか、日頃の(quotidiano)慌ただしい(affacendato)生活(vita)から、解放(liberazione)されたようで、自分が、1人の尊厳ある人として、生き生きと(vivacemente)、生き(vivere)ていけそうな気持ち(sentimento)になりました。それから(poi)、ドゥオモ(Duomo)(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(Basilica di Santa Maria del Fiore))で、荘厳な聖堂内、今にも、天国(paradiso)へ、届き(arrivare)そうな、高い(alto)天井(soffitto)、遥か(molto)昔(passato)から、共に(insieme)、時(tenpo)を、刻ん(tritare)できた、大きな(grande)時計(orologio)、キリストの神秘(misterioso)を、祝福する(benedire)祭壇、壁画(murale)…など(e cosi via)、何もかも(tutto)が、神様(dio)、イエスさま、マリアさまや、多く(tanto)の聖人(santo)さんたちに、歓迎(benvenuto)されているようで、神様(dio)と、心(cuore)と心、手(mano)と手を合わせ(mettere)て、祈り(pregare)を捧げ(offrire)ているうちに、改めて(di nuovo)、たくさん(tanto)の愛(amore)に、見守(guardare con attenzione)られながら、共に(insieme)、生か(fare buon uso di)されているという真実(verita)を、実感(rendersi conto)出来(potere)ました。午後(pomeriggio)は、サンタ・マリア・ノヴェラ教会(Chiesa di Santa Maria Novella)、サン・ロレンツォ教会(Basilica di San Lorenzo)、サント・スピリト教会(Chiera di Santo Spirito)、サンタ・マリア・デル・カルミネ教会(Chiera di Santa Maria del Carmine)、サンタ・クローチェ教会(Chiera di Santa Croce)、オルサンミケーレ教会(Chiera di Orsanmichele)…など(e cosi via)、一ヶ所一ヶ所と、祈り(pregare)ながら、時(qualche volta)に、露店(bancarella)、カフェテリア(caffetteria)など(e cosi via)、いろんな(vario)ところ(posto)に、寄り(passare da)ながら、フィレンツェの素敵な(bello)街並み(citta)を、足(gamba)に、たこが、出来るまで、巡り歩き(camminare)ました。夕刻(sera)の時になって、再び(ancora)、ドゥオモ(Duomo)に戻り(tornare)、近辺(vicino)のキリスト教(cristianesimo)ショップ(negozio)に、立ち寄り(passare da)ました。そこの店員(commesso)のお兄さん(uomo)が、まさに(proprio)、私の理想(ideale)のタイプ、かっこ良くて、優しそうな(gentile)お兄さんの「グラーツェ(grazie)」という、満面な笑顔(sorriso)に、触れた(toccare)途端、ちょっぴり(poco)、一目惚れ(colpo di d'occhio)をして、思わず(inconsciamente)、自分も、満面な笑顔(sorriso)で、返し(restituire)てしまって、甘酸っぱい(agrodolce)気持ち(sentimento)になり、まるで(come sei)、映画(film)の主役(protagonista)になったような、乙女心地(sentimento)になっ(trasformarsi)ていました。
フィレンツェ…、何もかも(tutto)が、神様の愛(dio di amore)に、満ち(riempire)溢れ(traboccare)ているようで、心(cuore)の底(fondo)から、大好き(favorito)だと、思っ(supporre)て、一生(vita)、忘れ(dimenticare)られないぐらい、素晴らしい(bello)思い出(ricordo)になりました。いつか(un giorno)、また(ancora)、イタリアへ、旅立つ(mettersi in viaggio)ことが出来(potere)た時、現地の(locale)人たちと、イタリア語で、話す(parlare)ことが出来(potere)たら、コミュニケーション(comunicazione)が取れ(prendere)て、きっと(senz'alto)、もっと(molto)、素敵な(bello)時を、過ごす(passare)ことが出来(potere)るだろうなぁと、夢(sogno)が、膨ら(gonfiare)みます。
今夜(stasera)も、健やか(salute)に、「デオ・グラツィアス」と、眠り(dormire)に、就く(andare a letto)ことが出来(potere)ますように…(^-^)
フルリーナさんへ
こんな私のために、いろいろと、親身になって、情報を、提供してくださって、ありがとうございます(^^)
より、楽しみが増えて、毎日の生活が、生き生きと、充実してくるようで、とても、嬉しいです。
いつも、フルリーナさんのお言葉一つ一つから、表れる、お人柄に、惹かれそうで、共に、生きていると、思うと、励まされます。
資料、いろいろと、おありなんですね…。いつか、旅行の予定が出来た時に、お願いしたいと、思うので、よろしくお願いしますm(_ _)m
これから、暑い夏、いろいろと、大変だと、思うけれど、無理のないように、していきましょうね(^-^)