Mi piace italiano!

こんばんは(Bouna sera.)。お疲れさまです(Boun ripozo.)。まあなです(Sono maana.)。お元気でしょうか…?(Come sta?)先日(l'altro giorno)の台風(tifone)は、7月(luglio)にしては、戦後(dopoguerre)最大級(il piu grande)のクラス(classe)だったとのこと、日本(Giappone)のいろんな(vario)ところ(posto)に、被害(danno)が及ん(estendersi)だと、思います(suppore)。皆さん(tutti)のところは、いかがだったでしょうか…?私のほうは、土曜日(sabato)、出勤(andare in ufficio)だったけれど、勤務中(mentre lavoro)に、最(il piu)接近して(avvicinarsi)いたとのこと、行き帰り(andare e rincasare)など(e cosi via)、外出(uscire)している時は、風(vent)が、穏やか(calmo)だったので、ほとんど(quasi)、台風(tifone)の影響(influenza)を受けずに、無事に(sano e salvo)、過ごす(passare)ことが出来(potere)ました。どうか、被害(danno)に、遭われた方が、1日でも、早く(presto)、心の傷(ferita di cuore)が癒され(sanare)、平穏な(colmo)日々が訪れ(visitare)ますように…と、祈って(pregare)います。
今日(oggi)は、海の日(giorno di mare)ですね。海と言えば、イタリアのヴェネツィアのサン・マルコ運河(canale)を、思い出し(ricordare)ますね。太陽の光(solare luce)が、眩いぐらいに、きらきら、照ら(splendere)されている海が、空(cielo)、大地(terra)に、心地よく(confortevole)、マッチ(fiammifero)していて、この世(questo mondo)の美しさ(bello)を、凝縮しているようで、何とも、言えない感動(commozione)で、心(cuore)が、いっぱいになりましたね。海…、あまりの限りなさに、神様の愛(amore di dio)が、証されて(provare)いるようで、私たち(noi)、一人一人を、愛して(amare)、生かされていることへの感謝(ringraziamento)の気持ち(sentimento)を、大切(importante)にしていけたらいいですね。
海の仕事(lavoro di mare)に、携われている方が、神様の愛に、見守(guardare con attenzione)られ、1日1日を、健やかに、生きて(vivere)いくことが、出来(potere)ますように…と、祈って(pregare)います。
イタリア…、気が付けば、早いものの、出発して(partire)から、ちょうど(giusto)、1ヶ月(un mese)が、経ち(passare)ましたね。あの頃(a quei tempi)が、まるで(come se)、夢(sogno)のようで、未だに、不思議な(misterioso)気持ち(sentimento)でいます。帰宅して(rientrare a casa)から、しばらく(un po')は、時差ぼけ(jetlag)で、疲れ(fatica)やだるさ(sentirsi)が、残っ(restare)たまま、お中元に向けて、仕事(lavoro)が、忙しくて(occupato)、きつ(duro)かったけれど、今は、どうにか、乗り切ることが出来て、比較的(relativamente)、平穏な(colmo)日々を、送って(passare)います。
遥か(molto)昔(passato)から、抱いていた夢、イタリア、初めて、舞い降りた時、イタリアの空(cielo)、大地(terra)、海(mare)、緑(verde)…、何もかも(tutto)が、想像(immaginazione)を、絶するぐらい、偉大(grande)で、まるで(come se)、歓迎して(accogliere a braccia apete)、暖かく(cordiale)、包んで(incartare)くれているようで、何とも、言えない感動(commozione)で、心(cuore)が、いっぱいになり、涙(lacrima)が、溢れ(traboccare)出てきましたね。あの涙は、きっと、神様(dio)がなされてくれたものとして、決して(affatto)、忘れる(dimenticare)ことはなく、いつまでも(per sempre)、私の命(vita)の糧(となりそうですね。
今、イタリア語を、勉強して(stadiare)います。端から、見れば、無意味な(insignificante)ようだけれど、それほど、イタリアへの思い(sperare)が強くて(forte)、いつも(sempre)、イタリアの愛しさを、胸(petto)にして、生きていきたいのです。きっと(senz'altro)、何かに、夢中になれる(impazzire)ということは、素晴らしい(magnifico)ことだと信じて(credere)、今(adesso)を、精一杯、生きること、それが、私のモットーです。日伊、伊日辞書(dizionario)や、参考書(libro di consultazione)を、いくつか、購入して(comprare)、何とか、手探りで(a tastoni)、自分なりに、勉強して(stadiare)いるところだけれど、英語(ingrase)と、違って(essere diverso)、男性(uomo)、女性(donna)名詞(nome)があり、文法(grammatica)のあまりの複雑さ(complicato)に、パニック(panico)になっています。ちょっと(un po')、要領が、悪い(cattivo)のかしら…?でも(ma)、神様が、与えて(dare)くださった、1500ccの脳みそ(cervello)を、フルに、利用して(usare)、諦めず(no rinunciare)に、根気よく(pazienza)、勉強して(stadiare)いくことが、大切(importante)ですね。1日1日、自分なりに、出来る範囲で、少しずつと、思っています。(う〜ん…、誰か、いい勉強方法(metodo)があったら、教えて(dire)くださいm(_ _)m)。
また(ancora)、いつの日にか、ローマのトレビの泉(fontana di trevi)で、投げ(tirare)入れた、コイン(gettnne)に、込められた願いが、聞き入れられ、イタリアでの時間(tempo)が、深い(profondo)ものになるようにと、これから(d'ora in poi)も、夢(sogno)を、抱いて、神様、イエスさま(cristo)、マリアさまと、共に(insieme)、生きていけたらと、思います。
次(prossimo)は、巡礼地(pellegrinaggio)の一つ、フランス(Francia)のルルドへ、訪れたいと、思っているけれど、ほとんど(quasi)、旅行(viaggio)会社(ditta)のツアーに、含まれていないので、いろんな方々の話を、伺ったり、調べたりして、計画を、立てて(progettare)いこうと、思います。(皆さん、個人で、訪れられているのかなぁ…?)
ルルド…、世界中から、病気(malattia)や、罪(peccato)、重荷…など、たくさんの苦しみ(sofferenza)を、抱えている、いろんな方々が、集まり(riunirsi)、心を、一つにして、聖母マリアさまが、一人の少女(ragazza)、ベルナデッタへ、なされた奇跡(miracoloso)を、思い起こし、癒しが、得られるようにと、ベルナデッタへの取り次ぎを、願う、愛しいところです。
次から、次々(uno dopo l'altro)と、夢が、膨らみ(gonfiarsi)ますね。きっと(senz'altro)、神様が、そんな私を、いいように、導いて(condurre)くださるのでしょうね。
今夜(starera)も、健やかに、「デオ・グラツィアス」と、眠り(dormire)に就くことが出来ますように…(^-^)
フルリーナさん
暖かいコメント、ありがとうございます(^^)いつも、フルリーナさんの愛しさ、いっぱいの心に、感動しています。イタリア、本当に、良かったですね。身体は、疲れたけれど、それ以上に、愛しさを、いっぱい、味わって、触れることが出来て、心は、満たされていて、とても、元気です。
ルルド旅行記、拝見させていただきました。フルリーナさんのルルドへの愛しい思いが、私の心に、ジーンと、伝わってきて、私も、いつの日にか、フルリーナさんに、続いて、ルルドへ、希望を、抱いて、訪れることが出来たら…と、思います。どうか、その時は、心を合わせて、共に、神様、イエスさま、マリアさまの愛の中で生きている喜びを、いっぱい、いっぱいに、感じることが出来たらいいですね。
フルリーナさん、未熟な私だけれど、これからも、よろしくお願いしますね(^-^)
martedi,diciassette luglio