命の糧

こんばんは。まあなです。今日も、1日、お疲れさまです。今日から、また、感謝と、祈りのうちに、一週間、始まりましたね。お互い、新たな気持ちで、神様に、日ごとの糧を、頂きながら、自分らしく、自分のペースで、頑張って、生きていきましょうね。よろしくお願いします。
昨日、今日と、二日間、素晴らしいお天気でしたね。昨日は、キリストの聖体の主日、まさに、イエスさまのご聖体への感謝の気持ちを、表しているようでしたね。そっと、瞑って、思いっきり、深呼吸すれば、色とりどりの紫陽花たち、若々しいみどり、壮大な大地、海、小鳥たちのさえずり…が、優しく、微笑んで、見守ってくれているようで、そんな自然の息吹を、身体と、心いっぱいに、受けて、自分も、神様が、お造りになった、その中で、生かされていると、自分は、1人ではないんだと、実感することができ、ほんわか、心が、暖かくなり、平安で、満たされそうになりました。
昨日のミサも、いつも通り、今週の反省と、そして、来週への在り方を、思考して、全てのことにおいて、良いように、取り計らってくださる、神様への感謝と、賛美を、捧げながら、ご聖体を、拝領することができ、心いっぱいに、満たされた、神様、イエスさまの愛が、「今週も、頑張って、生きたね。」と、そして、「来週も、共に、生きていこうね。」と、抱き締めてくれるようで、感動のあまり、涙が溢れ出てきました。
2000年前、この世の罪に苦しみ、あらゆるふ神様の御子、イエスさまが、この世の罪に苦しみ、不安に、打ちひしがれてきた私たちを、救い、解放し、1人1人が、神様を、知り、愛することができ、自信を持って、健やかに、生きることが出来るように、この世に、遣われ、30数年間、私たちと、同じような状態で、神様の豊かな愛を、証しながら、生きられました。2000年、経った今も、いつも、私たちの心におられる、イエスさまと、共に、ミサ、黙想…など、あらゆる神様の触れ合いを通して、神様の愛の証を、思い起こすことが、出来るのです。キリストの聖体のミサの言葉の典礼使徒パウロのコリント教会への手紙(1コリント11・23〜26)を、黙想することによって、神様、イエスさまあっての私だということを、改めて、心いっぱいに、実感することが出来ました。
「皆さん、わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさいと言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさいと言われました。だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。」
もうすぐ、イタリア旅行、あと、5日、6月16日、福岡から、成田へ、成田から、ミラノへ…、わくわく、どきどきなど、楽しみ、期待…いろんな思いを、1人1人が、かけがえのない存在として、健やかに、愛し愛されながら、自分らしい幸せを、生きていけますように…と、いろんな人への祈りを、心に込めて、未来への希望を、抱えて、旅立ちます。初めてのイタリア旅行で、言葉、習慣、文化の違いなど、いろいろと、不安はあるかもしれないけれど、神様、イエスさま、マリアさまの愛と、共に、世界中の人たちとあるという真実を、心に留めて、思い存分、イタリアの空気、風、大地、街並みなど、何もかも、満喫してこようと、思います。きっと、イタリア旅行を通して、神様、イエスさま、マリアさまからの愛のメッセージが、感じ取ることができ、私から、いろんな人たちの心に、愛しく、浸透しますように…。そして、私たちが、神様、イエスさまと、繋がり、一つになりますように…。
今夜も、今日1日、健やかに、「デオ・グラツィアス」と、生きることが出来たことに、感謝のうちに、心安らかに、眠りに就こうと、思います。