新たな人生へ

こんにちは。まあなです。今朝は、早めに、起きて、京都の大学に、通学している妹を、見送りに行きました。当分、帰ってこないようで、寂しいけれど、無理のないように、健やかにいてくれたら、何も、言うことはありません。何だか、疲れが、溜まっているせいか、身体が重くて、だるいです。いつも通り、ミサに、授かる予定だったけれど、今日は、辞めて、1日、明日からに、備えて、ゆっくり、休むことにしました。
気が付けば、もう、6月ですね。ジューンブライドと言われる、この喜ばしい月、神様が、結び合わせてくれた、世界中のいろんな男女2人が、きっと、たくさんの祝福に、包まれて、新たな愛へ、生きる決意を、されることでしょうね。いろんな幸せの笑顔が、目に、浮かぶようで、微笑ましくなりそうです。どうか、これからは、お二人で、健やかなる時も、病める時も、いつ、どんな時も、心を、合わせて、力を、合わせて、愛し愛されながら、愛に、満ち溢れた家庭を、築いていってくださいね。心から、おめでとうございます。私も、バツイチだけれど、また、いつか、愛しい人と、結ばれ、愛に満ち溢れた日が、訪れるのでしょうか…?でも、それは、遥かな夢のことです。まだ、過去の傷が、癒えなくて、再婚のことは、到底、考えられないけれど、取りあえず、今は、先のことを、考えても、キリがないので、何もかも、神様に、お任せして、今、自分に、与えられたこと、一つ一つのことに、全力を、尽くして、頑張ろうと、思っています。
人間関係って、本当に、難しいですね。つくづく、そう身に染みている私がいます。未だに、上手く、人間関係を、築くことが、出来ません。表面上では、嫌われないように、無難に、適当に、付き合うことは出来るかもしれないけれど、なかなか、心から、信頼を持って、付き合うことは、出来ません。なかなか、本当の自分を出すことが出来ません。だから、こんな私でも、大切に思ってくれる(私自身、そんな人たちの私への気持ち、痛い程、伝わります。)人のことを思うだけでも、こんな私で、申し訳ない気持ちで、いっぱいになり、とても、心が痛くなるけれど、今までの人生を、振り返ってみれば、やむを得ないかもしれません。裏切られたり、傷付けられたり、また、時には、自分が、加害者にならざるを得なくなったりと、余りにも、たくさん、苦悩に、遭遇したり、たくさん、辛い思いをしてきたからです。長年、いろんな経験、思いの積み重ねによって、植え付けられた、価値観は、なかなか、変えることは出来ません。それに、理不尽なことが、多過ぎる、この世の中で、上手く、生きていくためには、ある程度、割り切ることも、大切かもしれません。
最終的には、自分は、自分、他人は、他人ということでしょうか…?でも、せっかく、選ばれて、この世に、生まれてきて、一生という、かけがえのないものを、授かったのだから、そう簡単に、結論付けることは、余りにも、悲し過ぎますね。このままでは、ただ、人生を、無意味に、無駄に、過ごすだけのようで、何とか、今の状況から、脱したい私がいます。頭では、理解しているつもりでも、心が、なかなか、受け付けないですね。やはり、この貴重な一生、もっと、意味のあるものに、価値のあるものにするためには、よくよく、模索しなければいけません。その結果、人は、どんなに、強がっていても、1人では、生きていけないこと、「人」という文字の通り、人は、支え合いながら、生きていく者だと、心に留めた上で、まずは、自分とは違う、周りの人たちのどんなところも、受け入れ、愛して、そんな人たちの生き方、考え方を、尊重すべきだと、思います。なかなか、難しいかもしれないけれど、少しずつですね。
今朝から、何故か、気分的に、不安定です。先日、神父さまとの勉強会で、気まずい雰囲気になったせいでしょうか…?ここのところ、仕事や家庭のために、ミサや勉強会を、ついつい、疎かにしていました。神様への思いが、冷めたとまでは、思いたくないけれど、神様の子供になるために、求道者として、生きた、昨年一年間の熱い思いと、比較すれば、やはり、そう、認めざるを得ません。私のそんな心のうちが、神父さまに、伝わったのでしょうか…?そのことがあって、今日、教会に、生き難かったかもしれません。
あと、13日で、イタリア旅行、何も、分からないところで、誰も、知らないところで、今、私に、求められていることは、何か、もう一度、神様と、しっかり、向き合って、神様に、しっかり、耳を、傾けてこようと、思います。イタリア旅行を通して、学び、得たものが、第2の人生を、新たな自分として、生きる糧となりますように…。これから、旅行会社に行って、いろいろ、計画してこようと、思います。
神様、どうか、私の心を、穏やかにさせ、今日も、健やかに、「デオ・グラツィアス」と、生きていけますように…。