愛しい人へ

こんばんは。まあなです。今日も、1日、お疲れ様です。5月になりましたね。ゴールデンウィークは、いかがお過ごしでしょうか…?ゴールデンウィーク、晴れ渡る、青空の下で、太陽の明るい光を、浴びながら、きらきら輝く、人々の笑顔が、大好きだと、感じることが、出来る、素晴らしい時ですね。多くの人が、連休で、日頃の疲れを、癒やし、日頃、頑張っている自分へのご褒美として、趣味や、旅行、日頃、出来ない、したいことをする等、心身共に、リフレッシュされると、思います。どうか、休みを、思い存分、満喫されて下さいね。私の方は、相変わらず、仕事等で、忙しいけれど、無理は、禁物ということを、肝に銘じて、時々は、気分転換し、ゆっくり、心を、休めようと、思います。
さて、今日の本題、あなたには、「愛しい人」が、いますか?「愛しい人」、その言葉を、聞いただけでも、胸が、きゅーんとし、甘く、優しく、切ない気持ちで、いっぱいに、なりますね。「愛」とは、一言では、語れず、神様の愛、異性愛、家族愛、友情愛等、いろんな愛の種類が、あると、思うけれど、ここでは、異性愛について、語りたいと、思います。
私には、「愛しい人」が、います。愛しい人…、その人とは、約一年前に、一度きり、お会いしただけです。2年少し前、最も、生き辛さを、感じていた時に、あるHP(心の病気を、抱えている人々の集まりの場で、共に、良い方法を、考え、良い方向へ、向かって、生きていこうとしているものです。)に、辿り着きました。そこで、お知り合いになり、一年間、自分の心の思いを、吐き出し、いろんな人と、いろんな思いを、分かち合いながら、付き合ってきました。その人は、カトリック信者の方で、精神疾患への理解、児童虐待の防止のために、いろいろと、活動されていて、自分の人生に、しっかりと、ポリシーを持って、生きられています。一年間、その人の生き方、考え方を、触れてきて、ある日、その人と、お会いすれば、きっと、何かが変わると、頭の中で、大きく、閃きました。
長崎…、2度と、忘れることが出来ない、運命的な出会いをしたところです。初めて、その人の醸し出す、優しい笑顔を、見た途端、何故か、ほっとし、とても、安らぎました。まるで、ずっと、私と、共に、生きてきてくれたようで、心は、愛しさで、包まれたのです。長崎の優しい空気が、漂う中で、二人は、お互いに、緊張の距離を、保ちながらも、今、この瞬間を、共に、生きているんだと、心は、一つに、なりました。いろんなカトリック教会を、観光し回ったり、向き合って、食事をしたり、人生を、語り合ったりして、とても、素晴らしい時間を、過ごすことが、出来ました。
その日から、私にとって、その人は、最大の理解者となり、愛しい人になりました。私の全てを、受け入れ、愛してくれて、私が、今までの人生で、負わされた傷を、抱き締めてくれて、「大丈夫、大丈夫」と、心を、寄り添ってくれました。そんな愛しい、その人の存在そのものが、私の人生を、未来への栄光に、変えてくれました。その人の人生に、倣って、カトリックへ、生きると、強く、決意を、固めることが、出来ました。
もう、2度と、お会いすることは、ありません。お会いすれば、きっと、愛しい、その人への心の思いが、溢れ出てきて、抑えきれなくなることでしょう。本当は、いつまでも、その人の側に、居たくて、居たくて、たまらないけれど、罪深い私が、その人の人生に、立ち入る資格は、ないと、思いました。何よりも、私自身の重荷を、負わせることで、その人を、傷付けることが、恐いからです。いや、そのことで、私自身が、さらに、罪の意識を、持つことが、恐いかもしれません。いずれにしても、二人は、決して、結ばれることは、ないでしょう。未だに、その人のことを、想う度に、切なくて、息苦しくて、涙が、止まらない時があるけれど、それは、それで、良いのです。そんな孤独に、耐えることも、一つの愛だし、例え、遠くに、離れていても、同じ空の下で、生きている限り、心は、繋がっていると、実感出来るからです。
私は、カトリック教会のミサが、大好きです。カトリック信者として、生きている、今、ミサに、授かる度に、神様と、心を、合わせていると、同時に、愛しい人との心が、一致しているようで、何とも、言えない、幸せな気持ちに、満たされます。ありのままの私で、永遠の幸せへ、向かって、共に、生きている真実が、きっと、最高の幸せだと、思います。
今夜は、10ヶ月位前、前ブログで、記載したけれど、改めて、「愛しい人へ」の手紙を、読み返してみようと、思います。
今日も、1日、健やかに、過ごすことが出来たことに、「デオ・グラツィアス」です。

Love letter
愛しい人へ
あなたと出会った瞬間から、私の幸せへの時間が、始まったんだね。
あなたが、私にとって、愛しい人だと、思ったから、
あなたに、私の心の思いを、何もかも、話したくなったの。
あなたに、巣の私を、そのまま、見せたくなったの。
あなたなら、あなたの純粋な優しさで、
どんな思いも、受け入れてくれると、思ったから…。
あなたなら、あなたの限りない愛で、
どんな私も、愛してくれると、思ったから…。
長崎の街並みの教会で、
お互いの目と目を、見つめ合いながら、にっこり、微笑み合ったね。
お互いの手と手を、繋ぎ合いながら、幸せを、語り合ったね。
お互いの心と心を、重ね合わせながら、いろんな思いを、分かち合ったね。
あなたが、私にとって、愛しい人だと、思ったけれど、
私が、あなたにとって、重荷の存在になってしまう前に、
私が、あなたの幸せを、壊してしまう前に、
私は、あなたの元から、立ち去らなきゃいけなかったの。
辛かったけれど、
苦しかったけれど
悲しかったけれど、
心から、もう、大丈夫だと、思えたの。
あなたの暖かい手が、私の悲しみの涙を、拭ってくれたから…。
そして、前を向いて、生きていけると、思えたの。
あなたの愛しい心が、私の傷を、抱き締めてくれたから…。
かけがえのない、愛しい時間を、ありがとう。
一生、この時間を、支えにしながら、私の幸せを、生きていくね。
もう2度と、巡り会えないかもしれないけれど、
今日も、明るい陽射しの下で、あなたの幸せを、祈っているからね。