永遠の幸せ

おはようございます。まあなです。いかがお過ごしでしょうか…?私の方は、日々、元気で、過ごしています。最近は、つつじ、菜の花、たんぽぽ等、いろんな春の花が、咲き乱れて、まるで、生きとし生ける全ての命を、祝福しているようで、心が、感謝と、平安で、満たされますね。今日は、この場で、喜ばしい報告を、させてくださいね。私、まあな(1981年5月22日生、25歳)は、先日、2007年4月7日、復活徹夜祭に、地元の福岡教区、箱崎カトリック教会にて、キリスト教入信の秘跡(洗礼、堅信、聖体)を、授かって、晴れて、カトリック信者に、なりました。洗礼名(霊名)は、私の誕生日、5月22日の聖人、リタに、マリアを、付けて、マリア・リタです。きっと、前ブログを通して、お知り合いになった、ricoさんを、始め、世界中のいろんな方々が、たくさんの祝福の中で、受洗されたことだと、思います。改めて、おめでとうございます。現在、PCを、開けない状態で、あるので、もし、良かったら、私の携帯のメールに、コメントして下さったら、嬉しいです。メールアドレスは、god-blessing_maria-lita.april7@ezweb.ne.jpです。復活徹夜祭は、言葉では、言い表せない程、心が、感動で、満たされて、素晴らしかったです。母と、妹にも、自分の人生の最高の晴れ姿を、御披露目することが、出来ました。復活徹夜祭の祭儀は、まるで、一人一人が、この世の光の子のように、一人一人のろうそくが、灯されてから、壮大に、行われました。最初は、言葉の典礼旧約聖書、創世記、イザヤ記など、数箇所が、黙想されました。その間、典礼聖歌「今日こそ神が造られた日」、「キリストのように考え」等、色々と、歌って、キリストの復活を、喜び讃えました。その後、神父様のお説教、神父様のお言葉を、一つ一つ、宝物として、心に、刻んでいきました。次に、いよいよ、待ちに待った、私と、ご夫婦お二人方のキリスト教入信の秘跡が、行われました。まずは、前に立って、キリスト教においての、悪の拒否、「あなたは、神の子の自由に生きるために、罪と悪と、神に反する全てのものを退けますか。」に対して、「退けます。」と、キリスト教においての、信仰宣言、「あなたは、天地の創造主、全能の、神である父を、信じますか。」に対して、「信じます。」と、「あなたは、父のひとり子、おとめマリアから生まれ、苦しみを受けて葬られ、死者のうちから復活して、父の右におられる主イエス・キリストを信じますか。」に対して、「信じます。」と、「あなたは、聖霊を信じ、聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪の許し、からだの復活、永遠の命を、信じますか。」に対して、「信じます。」と、皆さんの前で、心からの信仰を、強く、持って、胸を張って、告白しました。次は、新しい命の始まりである、洗礼、祭壇に、上がって、神父様に、「私は、父と子と聖霊のみ名によって、あなたに、洗礼を授けます。」という言葉を、捧げられて、代母さんに、肩を、軽く、抑えて頂きながら、額に、3度、水を、注いで頂きました。洗礼の恵みは、極めて、豊かで、新しい命への誕生に、伴って、原罪と、全ての自罪が、許されます。また、この命によって、受洗者は、御父の養子、キリストの神秘体の肢体、聖霊の神殿に、なります。従って、受洗者は、キリストのからだである教会の一員となって、キリストの祭司職に、預かります。そして、祭壇から、降りた後、新しい命を、堅める、堅信が、授けられました。堅信は、洗礼の恵みを、さらに、豊かにする秘跡です。神父様に、額に、聖香油を、塗って、頭の上に、手を、かざして頂きながら、「父の賜物である、聖霊のしるしを、受けなさい。」と、捧げて頂きました。この秘跡を通して、聖霊が、私たちに、贈られて、神との親子関係が、一層、緊密になります。また、キリストの一致が、ますます、強まり、教会と、私たちとの連帯も、一層、堅固になります。その結果、私たちは、教会の使命に、ますます、積極的に、参加するようになり、言葉と、行いを持って、キリスト教信仰を、証しする者となるように、助けられます。次に、「白い衣を、受けなさい。」と、母に、お祝いとして、買ってもらった、ベールを、頭に、被されました。その瞬間、あらゆる罪から、解放されて、清められて、まるで、新しく、生まれ変わるようで、何とも、言えない感動が、こもってきて、涙が、出そうになりました。そして、自分のろうそくの火で、周囲の方々のろうそくに、火を、灯していった時、私は、この世の光として、周囲の心を、灯しながら、生きていくんだと、決意しました。その後、感謝の典礼、パンを、供える祈り、カリスを、供える祈り、交わりの儀、主の祈り、平和を、願う祈りを、捧げて、キリストの愛のうちに、世界中の心が、一致したようで、改めて、共に、生きる喜びを、感じることが、出来ました。次は、ご聖体、キリストの身体である、パンと、キリストの血である、カリスを、キリストの最後の晩餐のご様子を、頭の中で、描きながら、神様が、執り成して下さった、あらゆる神秘に、感謝しながら、喜びを持って、頂くことが、出来ました。その初めてのお味は、私の身体と、心全体に、神様の愛が、程良く、行き渡るようで、涙が出る程、感動しました。祭儀の後、神父様と、お世話係の方と、代母さん、一緒に、受洗した、ご夫婦お二人方と、そのお二人方の代夫さんと、代母さんと、記念撮影、きっと、幸せな微笑みを浮かべた、最高に、素晴らしい写真でしょう。いろんな方々から、記念品、花束等を、頂いて、たくさんの祝福の中で、受洗出来たことに、改めて、感謝します。やっと、永遠の幸せへ、辿り着きました。今までの人生、辛さ、苦しみ、悲しみばかりで、本当に、大変で、ずっと、暗闇の中を、さまよってきたけれど、愛の神様のご存在の気付きという恵みを、頂いてから、私の人生に、希望の光が、射し込みました。自分は、神様から、尊い命を、頂いた、永遠に、愛し愛される、存在であることを、神様、イエス様、マリア様の永遠の愛を、通して、理解出来たことに、どれだけ、喜びを、感じたことでしょう。今、はっきり、言えます。本当に、生きていて、良かったと。これからの人生、いろんな試練が、待ち受けていると、思うけれど、全てのことに、意味や価値があると、信じて、1日1日を、大切に、生きていこうと、思います。いつ、どんな時も、神様、イエス様、マリア様が、共に、居て下さる限り、私は、大丈夫です。未だに、受洗式を、思い浮かべる度に、夢のようで、なかなか、自分が、カトリック信者であることを、実感出来ないけれど、神様への祈りと、感謝を、通して、私に、必要なだけの糧と、助力を、頂いていけたらと、思います。私の人生を、支えて下さる、全ての方に、ありがとうございました。どれだけ、感謝しても、感謝し尽くせません。受洗のお祝いに、今年の11月に、イタリアへの旅に、行ってこようと、思います。そのために、今、掛け持ちで、仕事をしています。これからも、いろいろとあると、思うけれど、前を、向いて、自分のペースで、自分らしく、生きていこうと、思います。未熟者ですが、よろしくお願いしますm(_ _)m
今日も、1日、「デオ・グラツィアス(私は、神様を、愛しています。)」と、健やかに、過ごすことが出来ますように(^-^)

私の在り方

こんばんは。まあなです。お元気で、お過ごしでしょうか…?私の方は、とても、元気です。気が、付けば、早いものの、受洗してから、19日が、経ちました。神様の子供として、永遠の幸せへ、生きることが出来ることに、感謝です。先週から、今の工場(明太子)のパートと、短期の工場(弁当)のバイトの掛け持ちをし始めて、いろいろと、大変で、慌ただしい毎日を、送っています。身体は、頑張り過ぎて、あっちこっちの節々が、こっていて、きついけれど、心は、かつて、ない程の喜びに、満たされています。最近は、そんな状態の中でも、今後の人生、如何に、生きるべきか等、いろいろと、考えます。あと、26日(5月22日)で、26歳、この26年間、振り返ってみれば、頭の中で、いろんな出来事、自分自身のこと、家族関係のこと、学校や社会での人間関係のこと、進路のこと…、次々と、走馬灯のように、駆け巡ります。自分自身のこと…、物心ついた時から、3歳の時に、自閉症と、診断されたことが、大きいでしょうか…?、構音障害で、上手く、発音出来ないこと、動作が、鈍いこと等、弱点の余りの多さに、他者と、比較して、自分は、駄目な人間だと、自分を、卑下したり、自信喪失感を、感じたりと、いつも、下を、向いて、生きてきました。家族関係のこと…、物心ついた時から、私と、母と、妹と、3人の母子家庭で、母は、女手一人で、父親の役割も、担って、私たち、二人を、必死で、育ててくれました。そんな母の並々ならぬ、苦労を、見て、少しでも、母に、迷惑を、掛けまいと、必死で、「良い子」で、いました。学校や社会での人間関係のこと…、元々、人見知りの激しい性格のため、なかなか、周囲に、馴染めなくて、友達が出来ず、いつも、一人きりでした。よく、そんな私のことを、「根暗」、「うざい」、「気持ち悪い」と、陰口を、叩かれる等のいじめに、遭遇していたせいか、いつも、本当の自分を、出せまいと、必死で、感情を、押し殺していました。だから、長年、私の生きる意味、私の存在価値が、見出せず、生き辛さを、抱えながら、過ごしてきました。いろんな試練の遭遇、障壁に、立ちはだかる度に、いろいろと、苦悩して、大変だったけれど、自分なりに、より良い方法を、模索しながらと、一瞬一瞬を、精一杯、生き抜くことが、出来ました。ある日、そんな私にも、一点の希望の光を、見出せる時が、訪れました。それは、神様、イエス様、マリア様との出会いです。こんな、どうしようもない、ちっぽけな私を、神様は、ご自身の傑作作品として、かけがえのない宝物のように、大切に、想って下さって、ありのままの私を、勿体無い程の愛で、愛して下さって、ご自身を、通して、真実の幸せを、証して下さいました。やっと、神様の子供として、生きている今、長くて、暗闇のトンネルを、抜け出すことが出来て、晴れ渡る、青空の下で、大好きな、ありのままの私に、出会うことが出来ました。今までの人生、いろいろ、遭って、大変だったけれど、何もかも、全ての出来事は、神様が、私の幸せのために、取り計らって下さったことだと、確信しています。カトリック信者として、今後の人生、いろいろ、あると、思うけれど、いつ、どんな時も、神様が、私を、愛して下さったように、自分自身を、愛すること、そして、自分自身のように、周囲を、愛することを、大切にしようと、思います。そのためには、ありのままの自分に、自信を、持って、周囲を、大切に、思うこと、例えば、自分がして欲しいことは、人に、すること、自分がして欲しくないことは、人にしないことを、心掛けようと、思います。今年一年間の抱負は、去年と、同様かもしれないけれど、信仰を、持って、1日1日を、大切に、生きること、全てのことに、感謝すること、周囲への思いやりの気持ちを、大切にすることです。相変わらず、抱負だけは、立派だけど…^^;これからも、まあなのこと、よろしくお願いしますm(_ _)m
今日も、1日、「デオ・グラツィアス」と、健やかに、過ごすことが、出来たことに、感謝します(^-^)